音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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シベリウス:交響曲第5番 / パーヴォ・ヤルヴィ, パリ管弦楽団 (2015/2018 SACD)

シベリウスを聴くことは、様々な思いを自分の中に巡らせることでもあり。

久しぶりに聴いた感のあるパーヴォ・ヤルヴィのシベリウス。5番で。

改めて聴き直してみると、ここにあるのは実在感のあるシベリウスであるとの思いを抱いた。それは人間の息吹が確かに存在していることを意味する。

自然文化を観察描画する人間でもあり、またそれと一体となった人間を表しているようでもあり。

美なる自然に人間が取り込まれると、その人間もまた美しいものになるのだろうかなどと、思い遊び至ることもしばし。

または砂楼。音の砂楼が風に吹きさらされ、その形を失っていく様。確かにそこにあったはずが、残るは風紋のみ。

などと。

最初に述べたことの繰り返しになるが、思いを巡らせくゆらせる余白を持つ音楽が、自分にとってのシベリウスであるなと再認識させられた次第。

ベートーヴェン:交響曲第3番 / パーヴォ・ヤルヴィ, ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン (2005/2013 SACD)

前々から漠然と感じていた事ではあるのだけれども、パーヴォ・ヤルヴィはティンパニを恐れない。

意味や効果のある楽器として登用するから潔い。曲にアクセントを与え、楽曲を印象づける楽器であることを十分に理解し、その音を響かせている。

だから好きなんだよね、ヤルヴィさん。

ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」 / イザベル・ファウスト, アバド, モーツァルト管弦楽団 (2012/2018 SACD)

混沌と上澄み。

共存することで、互いの存在を認めるかのごとく。

サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番&第2番 / モルク, ネーメ・ヤルヴィ, ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団 (2016 SACD)

改めて聴いてみると、実に素敵なサン=サーンスのチェロコンチェルトですね。モルクの歌心が今の自分の耳に俄然響いてくる。

以前聞きかじったクラシック音楽も、今聴くとまた別の観点が生まれてくるから面白い。

クラシック音楽のみならず、音楽そのものに対する感度が、歳を取るとともにますます高くなっているような気がしますよ。

シューマン:チェロ協奏曲 / ゴーティエ・カピュソン, ベルナルト・ハイティンク, ヨーロッパ室内管弦楽団 (2019 CD-DA)

見目麗しくイケメン過ぎて、こちらの目も耳も潰れるってものだ。

(かつてないほど酷い感想文)

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲&ハーバート:チェロ協奏曲第2番 / ゴーティエ・カピュソン, パーヴォ・ヤルヴィ, フランクフルト放送交響楽団 (2009 CD-DA)

ふとしたことからこのディスクの存在を知り、中古にて購入。既に絶版だったので。

敬愛するゴーティエ・カピュソンによるドヴォルザーク。指揮がパーヴォ・ヤルヴィと来れば、これを聴かないわけにはいかない。

その演奏はと言うと、うっとり、の一言。ゴーティエ・カピュソンのチェロは端正で美しいことが基本なのだけれども、その基本を外さない、実に美麗なドヴォルザーク。男性ながら目をハートにしながら聴いておりました。

そして自分にとっては初めてのハーバート。これまたなんとも歌心のある、チェロをじっくりと歌わせるコンチェルト。

有名なドヴォルザークのそれと、比較的存在が地味なハーバートのそれとの対比によるカップリングではあるけれども、聴きごたえはイーブン。

パーヴォ・ヤルヴィの指揮もチェロを上手に引き立てるもので、オケも安心して聴くことが出来た次第。

これが絶版になっているとは何とももったいないことで。2008年の録音であることを考慮に入れると、早すぎたコンビネーションだったのかもしれない。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

THE PARTY / CASIOPEA (1990 FLAC)

久しぶりに聴く。

自分にとっては『Full Colors』の影に隠れた存在であったのだけれども、今になって聴いてみるとこれもまたCASIOPEA流のポップスで、なかなか気分が高揚してきますな。

意外とね、この90年代頭のCASIOPEAは聴きやすくて面白いのですよ。メンバーチェンジを経ての意気込みが十二分に充填されていることもあるのだろうけれども。

THE PARTY