音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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THE GREATEST HITS-小室哲哉作品集 S- / V.A. (2006 FLAC)

同時発売の「a」と併せて立て続けに聴いた。

寝起きに居間へ出るとNHKの小室哲哉をフィーチャーした番組が流れていたので、最後まで見通したのだよね。

番組内容はもう散々語り尽くされた小室哲哉の音楽家としての過去と、そして未来の小室哲哉像を本人が語るものであったのだけれども、まぁ、思春期から青春時代にかけて彼の音楽にべったりと張り付いていた自分としては、何はともあれ動いているてっちゃんがそこにいることに掛け値なく感動するわけでして。

そんなこんなの朝から昼にかけてこれを聴いていたのであります。

THE GREATEST HITS-小室哲哉作品集 S- THE GREATEST HITS-小室哲哉作品集 a-

globe / globe (1996 FLAC)

globeの初期4枚の音源は、いずれも2016年のハイレゾリマスタがイマイチだったと、認めなくはないけれども認めないとね。

音の離れはCD音源の方が間違いなくよいのですよ。ハイレゾリマスタ音源は音がぼやけて仕方がない。低域を欲張りすぎたのだろうな、あれは。

globe

マーラー:交響曲第7番《夜の歌》 / ショルティ, シカゴ交響楽団 (1971/2017 Hybrid SA-CD)

人間として怠惰に過ぎる時間を過ごした後は、やや復活をしてこれを流しながら諸々の身の回りの整理など。

BGMとしてマーラーを流している俺格好いい的中二病的に。

人間として破綻した後には、日本人として言葉が破綻してやがる。

ショパン:ピアノ協奏曲第1番 / クリスチャン・ツィメルマン, ポーランド祝祭管弦楽団 (1999/2017 FLAC)

午前3時を回りました。

さすがに限界。これをラストにしてシャワーを浴びてから寝ますよ。週末の夜はこのようにして更けゆくのでありました。

それにしてもうっとりすべくはツィメルマンが紡ぐピアノの美しさよ。これにうっとりせずして何にうっとりすると言うのだ。

ショパン:ピアノ協奏曲第1番・第2番(SHM-CD)

シベリウス:交響曲第1番 / コリン・デイヴィス, ボストン交響楽団 (1976/2020 Hybrid SA-CD)

既存のシベリウスの音楽像とは、おそらく自然文化的側面に根ざしたところから始まり作られているように感じられるのです。いや、それは根ざしたと言うレベルでの話ではなく、もはやそれそのものなのかもしれないと。

もちろんその観点を否定するつもりは微塵もなく。

それでもこの演奏から捉えることの出来るシベリウスは、音楽を音楽として立脚させているものなのだよね。しがらみから解き放たれて、音楽としてそこにあるシベリウス。

パワーと優雅さの両立。音楽作品としてのシベリウス。「シベリウス」なる偶像を打ち壊すほどの革新を施しているわけではないのだけれども、実に活き活きと真新しいシベリウスとしてこれがあるように感じられるのです。

これらの録音が1970年代に築かれたものだと言うのだから、いやはや、クラシック音楽の底知れなさには恐ろしいものがありますな。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 / マウリツィオ・ポリーニ, クラウディオ・アバド, ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (1992/2022 Hybrid SA-CD)

パワーに溺れるでもなく、リリカルに過ぎるでもなく、かといって中庸に甘んじるわけでもなく。

老成と言う名の衰えであるわけがなく、早熟と言う名の若さであるわけもなく。

ポリーニという人の弾くベートーヴェンは、端正でバランスよく美しいと言った印象なのです。美しさだけを刻んでとらえれば他にも美しいと感じられるピアニストは存在しますし、端正さやバランス感覚も同様。ただ無闇に圧倒させられる演奏でもなく。

人間としての音楽的な懐が広い演奏、とでも言えばよいのかな。この印象を言葉として表わすのはなかなか難しいものがありますよ。

そのようなことを考えながら聴いていると、思わず踊ってしまった指がチェケラッチョのポーズになっている、そんなあんぽんたんな私が聴いているクラシックなのです。言葉にするなど、とてもとても。

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