音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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Hotel California / Eagles (1976/2013 192/24)

前アーティクルからの続きでこれを聴いた。2013年リマスタの192/24版。

国内仕様44.1/16版で感じた音の狭さとやや詰まった間隔が取り払われ、音が自然と飛ぶような作りになっている。こちらの方が断然音がナチュラルですな。

音質評価として使われるのは、おそらく録音時点でパンの振りが相当意図的に作り込まれているからだろうと。音のアタックのキャプチャも耳に気持ちよい作りになっている。

今はプリメインアンプからのヘッドホンで聴いていたのだけれども、これをスピーカーで聴くとまた面白い印象を得ることが出来そうな。

これら音の作りが心地よいことから、より音楽そのものへと没入することも出来る。全ての音が心地よさのど真ん中に記録され仕上がっているとも言えるかな。

今の今まで自分は何を躊躇していたのだと小一時間問い詰めたいところではあるけれども、作品そのものに魅力を感じることの出来ないお子さまだったのだからそれは致し方のないこと。今はここに触れることが出来たことをありがたく思うことにしよう。

Hotel California

Hotel California / Eagles (1976/2011 44.1/16)

手元にあったのは2011年の国内販売されたSACDからのリッピング音源。図書館で借りたのかな?

借りた当時に数回聴き、その内容の深さに全く気づけずにいたのだけれども、今たまたま、本当に魔が差したかのように聴いてみたら、これがまた、よい。

よい。

よいったらよい。

1976年作品であることの自然な音の心象的風化が、ストーンウォッシュであるかのように新鮮とでも言えばいいのかな。音の一つ一つが生き生きと、それでいて1976年仕様のそれとして輝き続けていることの素晴らしさを実感出来るとも言えるか。

青春の音を今に聴いている、今に聴くことが出来るとも表現できるか。

オーディオ的な評価も高いこの作品、自分は今の今まで食わず嫌い半分にいたけれども、今さっき生まれ変わった。開眼した。これは、買う。もう物理メディアからさよならしたのでSACDを買うことはないけれども、192/24音源を手元に置く。こりゃ、内容もさることながら、音質的にも楽しそうだと気がついてしまったのでね。

人生どこでどう開眼するかなんて、本当に分からないものだ。

ホテル・カリフォルニア(SACD/CDハイブリッド盤)

Blue / Diana Panton (2022/2023 DSD128)

ダイアナ・パントン最新作。DSD128にて再生。

肩肘張らずに、ドレスアップも必要なく、気楽にジャズボーカルを楽しめるのがダイアナ・パントン作品の魅力ではあるけれども、今作はそのリラックスした感覚が更に増しているように思える。傷心が今回のテーマらしいのだけれどもそれは大きな意味での世界観における楽曲の共通項であり、音楽的にはコンセプチュアルに狙っていないあたりが、すんなりと歌と演奏の世界に入っていけるゆえんかもしれない。

たまに少し気取り気味なところがあるのもダイアナ・パントンの愛嬌ではあるけれども、ここではもっと自然に、それが彼女自身であるかのように歌われている世界にどっぷりと浸ることが出来る。

ゆったりと気分のささくれをなだめるがごとく。私のこの一週間の落ち着かなかった精神の状態を均すべく、こんな週末の夜にはふさわしいナチュラルな時間を。

blue

シベリウス:交響曲第4番 / クラウス・マケラ, オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 (2022 96/24)

改めて聴いてみると、この第4番はブルックナーに近しいものがあるな。それだから自分はシベリウスとブルックナーを両翼として好んでいるのかしらん。そこまで掘り下げて考えたことはなかったが。

そのようなことを考えつつ食事を摂りながら、この泥のようにまとわりついて暗い作品を堪能。

シベリウス:交響曲全集

ブルックナー:交響曲第4番 / ギュンター・ヴァント, ケルン放送交響楽団 (1978/2010 44.1/16)

ブルックナーをスピーカーで聴くのは久しぶりのような気がする。

お気に入りのネルソンスではなく、自分にとってのブルックナー入門だったヴァントとケルン放送交響楽団のそれで。

演奏に引き込まれる。

パリッとたくましい金管、ふくよかかつ柔和な木管、歯切れよくそれでいて滑らかな響きを持ったストリングス。オケとしては決して一流どころとは言えないかもしれないが、演奏が聴き手に響けばそれが全てではないかと。

この音源が録音された時期から既に45年が経過し、その間に恐らくブルックナーの解釈もどんどんと進んで行ったのだろう。ここでのブルックナーと例えば最新式のネルソンスのそれとでは、演奏の力量も指揮者による解釈も異なっていることが聴いて取れる。録音技術もまた然り。

立体的な緻密さを楽しむのであれば後者。しかし最新型が全て正しいとは言えないのがクラシック音楽のみならずあまねく音楽の常。それらを比較し聴けるこの贅沢さを享受できることは幸せの極みではないかと。

このようにブルックナーを聴いていると、自分の中にある音楽に対する姿勢を改めて再認識するに至ることが多い。現時点で自分にとってのブルックナーは、音楽そのものを均し、考えるための存在なのかもしれない。

Bruckner: Symphonies No.1 - 9

立ち止まり、振り返り、整理し、先へ向かう

先週の急性胃腸炎の影響なのか、仕事があまりにもアレだったせいなのか、とにかく今週は疲れ果てておりました。

昨日に至ってはブログを更新する気力すら久しぶりになくしておりましたね。終業後はとにかく何もしたくないという状態で。

今日は週終わりということもあってか、軽快にこのような音源をボリュームを上げ気味にして聴いております。

オーディオシステムを大幅に見直し、シンプルの極みのような構成にしたことから、出音もまたシンプルに格好よい、自分が惚れ直す音になりましたね。萌音さんの声も元気にスピーカーから飛び出してきております。ボーカル物はボーカルがしっかりと力を持って耳に届かないと意味がないわけで。それでいながらも演奏も楽しめる環境。

オーディオに憧れた小学生時分から今に至り、40代はどっぷりとその世界に浸かることが出来ました。自分の中で行き着くところまで行き着いた感があるので、ここで少し落ち着きましょうといった状態にあります。

オーディオに注力することから少し離れ、別ベクトルに自分を楽しむ環境作りへと専念しようかと。その布石はもう打ってあります。

ともあれ、音楽を聴くと言う行為だけは絶対に整理できない自分。今年はまた少し外に目を向けて、生の演奏、歌を楽しむことに力を注ごうと考えております。現時点で既に3本のライヴを見に行くことが決まっているのでね。チケットなら押さえているのです。

音楽を十分に楽しみつつ、40代を終え、50代を迎えるように仕向けましょう。

note (通常盤)