音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

当コンテンツではアフィリエイト広告を利用しています

中森明菜 Tribute Album “明響” / V.A. (2025 48/24)

これはいいトリビュート。

何よりも中森明菜作品に対するリスペクト精神と、オリジナルの世界観をいかにして換骨奪胎して自らのものとして取り込んだ上で、大胆にアウトプットするかといったアイディアに満ちあふれている。

この手のアルバムになると、楽曲毎にある程度の出来不出来、もしくは得手不得手の差が現れるものなのだけれども、今作に限ってはクリエイターとシンガーとのやる気が空回りせず、高い完成度を誇る中森明菜作品をものにすることに見事に成功している。

無論楽曲間の小粒大粒の差はあれど、この聴き応えがあれば、それすらも気にならないというもの。「これはイマイチ」とガッカリさせられるものが存在しないことが奇跡的ではないかと。

以下、どの曲にも聴き所があるので、全曲を簡単にレビュー。

玉井詩織「スローモーション」
本作唯一の現役アイドルによる歌唱。アイドルであることを武器にして、オリジナルリスペクトのアレンジに透明感ある世界を映し出している。

城田優「少女A」
男性ボーカルであることと、トラックをゼロベースで作り上げていることで、原曲が持っていた鋭さに対して別角度から光を当てているかのよう。

土岐麻子「セカンド・ラブ」
オリジナルのはかなさを大人の気怠さに置き換えてしっとりと歌い上げている。オリジナルのアレンジではやや重くなるところを、適度にライトにリアレンジ。

GYUBIN「トワイライト-夕暮れ便り-」
K-POPボーカリストによるカヴァー。本作の並びではやや異端であるようにも見受けられるが、実にオーソドックスに世界を再構築している。

一青窈「北ウイング」
100%の一青窈節に置き換えてのプレゼン。この人ならばここまでやらなければ嘘だろうと思わせる説得力は、本作において強力なインパクトを持って受けいれられた。

玉置浩二「サザン・ウインド」
作曲者本人によるセルフカヴァー。その時点で反則。もとい、リアルタイムではあまり感じていなかったのだが、こうやって新たに触れると、確かに氏のメロディであることよ、と納得させられる。

Ado「十戒 (1984)」
本作の中ではオーソドックスなカヴァーの一つ。飛ぶ鳥を落とす勢いの現代のシンガーが中森明菜をカヴァーすること自体に意味があるのだと思い知らされる。

鈴木雅之「飾りじゃないのよ涙は」
個人的に一発で打ちのめされたアレンジ。氏のワールドとパワー全開。譜割りもがらっと置き換え、J-POP界随一のボーカリストによって実にイカしたダンスナンバーとして提供されている。

CHEMISTRY「ミ・アモーレ」
原曲とは異なるベクトルでのスケール感を持ったビッグバンドアレンジに乗って、2人のボーカルが、実に丁寧に歌い重ねられている。

JUJU「DESIRE -情熱-」
カヴァーならお手のものによる彼女のボーカル。原曲重視のアレンジとの相乗効果で、オリジナルが持つロック感と現代のボーカリストによる共存が、安定感を持った意図で組み立てられている。

East Of Eden「TANGO NOIR」
メンバーによるヴァイオリンが縦横無尽に駆け巡る作風に。タンゴのサウンドを代表するバンドネオンが、まるでジプシー・ヴァイオリンに置き換えられているかのよう。バンドサウンドとしても楽しめる。

中島美嘉「難破船」
彼女の持つウェットなボーカルスタイルが、原曲のイメージをほうふつさせながらも、この絶望的な失恋歌を、中森明菜が持っていた救いのなさとは異なる、どこか一縷の望みを持つ世界観にしている様は見事。

星屑スキャット「TATOO」
スッキリとシャープなダンストラックに置き換えたカヴァー。なるほど確かにこの曲はオシャレな側面も持ち合わせていた、と再発見させてもらえる。本アルバムの中で最も現代的なアレンジとも言える。

このような具合に、聴き所満載であります。この5月は本作をえらく愛聴しておりました。ノスタルジックでありながらも、リアル。このギャップを完全に埋めにきた、素晴らしいトリビュートアルバムです。

中森明菜 Tribute Album “明響” 2CDデラックス・エディション [中森明菜ベスト・アルバム付] (特典なし)

このところちょっと(20250514)

1.
人間ドックに行ってきました。人生初の胃カメラも経験。自らの体内を画面越しに見るのは、なかなかに興味深いものがありました。これが俺の内蔵なのかと。俺のモツ。

その往復では星野源の最新作を聴いておりました。あの見た目にいつも騙されるのですが、音楽面において相当にマニアックな方であることをすっかり失念しておりました。そのようなことを思い出されるような、見た目すっきり、中身ぎっしりの作品になっておりました。今作も愛聴出来そうな予感。

蛇足的に書いておくと、Vaundyは米津玄師の延長上にいるのではなく、むしろ星野源のフォロワーではないかと思ったりもしましたよ。

Gen [通常盤] [CD]

2.
毎年この人間ドックの日はたいそう疲れて帰宅します。本日も帰宅後に椅子の上でぐったりしながら、サイモン・ラトルとベルリン・フィルのシベリウス2番を聴いておりました。

シベリウスの交響曲の中で最も再生回数が少ない本作なのですが、ボンヤリとした頭で聴いていたこれは、ずいぶんと滑らかな作風であるように感じられました。全体的に涼しげな風が流れているかのような。

過去にベートーヴェンの交響曲のようだと抱いた印象は、今回はどこにもありませんでした。なぜそのような印象を抱いたのかと、小一時間過去の自分に問いかけたくもなり。本作に対する微妙な苦手意識はどこから来ていたのだろうか。

シベリウス : 交響曲全集 (Jean Sibelius : Symphonies 1-7 / Berliner Philharmoniker | Sir Simon Rattle) [4CD+2Blu-ray (Audio & Video)] [輸入盤] [日本語帯・解説付]

3.
ぐったりと軽く午睡を取った後は、サイモン・ラトルとバイエルン放送交響楽団によるマーラー7番を。疲れているのに重いものを聴いておりますが、がっつり聴くというよりは、音を流しつつ、室内軽作業を行っておりました。

5番ほど再生の数を重ねているわけではないのですが、おそらくどこをどう切り取ってもマーラーであるこの作風は、「後世に残る」作曲家としての力を携えているのだと実感した次第。長尺ではあるけれども聴けるのですよね。力とは生命力のようなものなのかもしれません。作曲家としての、作品としての生命力が漲っているがために、長く愛される作品となるのだと。

マーラー:交響曲第7番「夜の歌」(初回限定生産盤)

5.
先日、矢野顕子×上原ひろみのライヴを観てきました。交通アクセスの非常に悪いNHKホールにて。

クラシック音楽で聴くピアノとは全く異なる楽器ではないかと思えてくるほどの、2馬力によるピアノのダイナミクス。終始エンジン全開で飛ばしまくる2人の演奏は、演奏家である彼女らをとことん高次元に追い込み、その波動が観客である自分をとことん圧倒していく様を実感させられました。

今回は上原ひろみサイドの座席で楽しむことが出来たのですが、とにかくその演奏におけるアイディアと捲りの情報量が凄まじく、トリオやバンド、ソロなどで見られる内容とは全く異なる、同じ事をしても意味がないと言わんばかりの勢いの強さに打ちのめされました。

それは矢野顕子との共演共存であると同時に、矢野顕子をとことん追い詰めているような、言葉を悪くするならば尻を叩くかのようなスタイルであるかのようにも見て取れました。既存のスタイルを打ち破り、より高みを目指し、観たことのない世界へと自らとそして観客を誘っていくかのように。

矢野顕子の歌とピアノとが完全に連携しているスタイルと、上原ひろみのピアノを体内に完全に取り込んでいるスタイルとの融合は、どこか地球外生命体を見ているかのような異次元の世界の音楽が展開されているかのようでもありました。

この上ない多幸感と、少しの恐怖を抱いての終演と相成りました。音楽は、すごい。これだからやめられない。

右手、上原ひろみサイドで鑑賞してきました

6.
moraで先行販売されているT-SQUAREの新譜が聴けば聴くほどに素晴らしい。J-FUSION大当たりイヤーだった2024年の勢いがここまで続いてくれたかと思えるほどに充実した内容。

新メンバーが2名加入し、ベーシストが正式加入となっての1枚目。新しい風と、既存のT-SQUAREブランドとが、高いレベルで融合されている感を受けました。21世紀型のT-SQUAREがようやくここに来て成立したのではとも思えるほど。

和泉宏隆が逝去し、安藤正容が脱退してのT-SQUAREであっても、T-SQUARE節のようなものは間違いなくここに受け継がれているのだと実感。バンドとしてのキャリアが長く、その先人達が築いてきた音としてのブランドがしっかりと土台にあるからこそ、そこで息吹く新たな命も大きく育つのですね。

かつて伊東たけしと本田雅人の交代劇によって、ドラスティックにT-SQUAREの音が変わった時とは全く異なる形での今回のメンバー新加入は、間違いなく今後のT-SQUAREにとってプラスになるだろうことを、その音を持って実証してくれたように思います。

この新鮮かつ良い意味での既視感がブレンドされた新生T-SQUAREの挨拶状としては、この上ない作品に仕上がっているのではないかと。

TURN THE PAGE! (通常盤) (CD) (特典なし)

7.
ライブやアルバムのレビューが完全に日記の一環として取り込まれている(独立記事になっていない)のは、自分の書く力が明らかに衰えていることを実感しているからであります。

書かなければ衰えるのが文章というものではありますが、書こうとしても衰えている、文章に対する既視感の連続にウンザリするのは仕方がないことなのでしょうかね。

この記述スタイルはまだまだ続くような気がしています。基本的には自分自身に対する記録文でしかないので、これくらいが丁度よいのかもしれませんがね。

そんなこんなで。

7.1chサラウンドセッティング中

今回の山荘イベントファイナルステージに入ります。

7.1chサラウンドへの挑戦。こんな感じにセッティングを行っております。

こんな感じにセッティングを行っております

センター周りがごついことになっています。

センター周り

リアにももちろんスピーカーがいます。

リア

こんな具合にアンプが並んだのが今回の特徴?

アンプ群

裏はこのような具合に結線されております。

結線状態

天井からリスニングポジションの真横までスピーカーだらけ。

天井から真横までスピーカーだらけ

では、まいります。

2025年ゴールデンウィークの八ヶ岳山荘

ゴールデンウィークの八ヶ岳山荘に来ております。

今回は仙台に住むオーディオの師匠様をお迎えして、オーディオで遊び倒すゴールデンウィーク。

私の部屋からはAccuphaseのアンプE-480とFOCALのスピーカーArea926を運び出し、師匠の部屋からはGOLDMUNDのパワーアンプTELOS200とPalk AudioのスピーカーXT MXT60を600kmの道程で運び込みました。

初日の昨日は当座のセッティングでスピーカーの聴き比べを。アンプがまだまだ暖まっていないこともあり、本当に文字通りのウォーミングアップではありましたが、J-POP、ジャズ、クラシック音楽とざっと聴き比べて、その傾向のあまりもの違いを目の当たりにして、腕を組んで唸っておりました。

しかしまぁ、この物音も騒音もなく、本当にオーディオのためにある環境とも言える中での贅沢な空間は何物にも代えがたく。

本日、山荘2日目はこの2セットのスピーカーをあれこれと聴き倒す予定であります。

明日以降は、ここに更なるスピーカーが加わり(まだまだ運び込んでいる機材はあるのです)、最終的には7.1chサラウンド環境が構築されることとなっております。東京でも仙台でも味わえない、この八ヶ岳の山荘ならではの醍醐味。

じっくりと堪能させて頂きます。

まだまだ序の口

Forgotten Shores / 角松敏生 (2025 48/24)

シティ・ポップへのカウンターとして角松敏生が掲げる『Contemporary Urban Music』シリーズ第3弾。

前2作は発売当初にQobuzで聴いてはいたのだけれども、特にピンと来るものもなかったのです。なんちゃって角松、のような感覚がつきまとってしまっていて。

今作については角松敏生ファンの友人から好評だったので、何とはなしにこれまたQobuzで聴いてみたのです。期待はゼロに等しかったのですがね。ところがどっこい、聴いてみてびっくり。

角松敏生の本気の圧が音に現れている。何もかもがハイエナジーで、パワーとやる気に満ちあふれている。これだよ、これ。聴きたかったのはこういうの!アーバンでゴージャスで煌びやかな時代を思い起こさせるポップミュージック。

この手のポップミュージックは最早角松敏生のお家芸でもあり、同時に時代錯誤な伝統芸能でもあることは重々承知の上。それでもやはり「角松印」な音作りなるものは間違いなく存在するはずで、そこへ自信を持って改めて踏み込んでいる角松敏生に賛辞を送りたい。どこをどう切り取っても自分色に染め上げられることは、音楽家として非常に重要なアイデンティティだと思うのよね。

バッキバキに硬質なサウンドメイキングはもちろんのこと、録音も現代型ポップスとして極上の音圧と分離、そして配置を有している。メインスピーカーでガツンと鳴らし、ボリュームを可能な限り上げることで、音の洪水に浸ることができるこの快感といったら。

何もかもが角松敏生ですよ。聴き終えると同時に音源を購入してしまいました。既にヘビロテしております。最高にイカしているな、これ。

Forgotten Shores (特典なし)

High Time -Remastered- / THEE MICHELLE GUN ELEPHANT (1996/2025 96/24)

デビュー30周年プロジェクト『THEE 30TH』企画の一環、リリースされたアルバムの96/24リマスタ&ハイレゾ化。コツコツと毎月買っている。

チバユウスケの格好よさは今さら語るまでもなく、バンドとしての存在感がぐっとクローズアップされたリマスタになっており、とにかくボリュームを上げて聴きたくなる。上げれば上げるほど自分の中に静かに眠り始めていた暴力性が掻き立てられる。

かつては殺人的な暴力だったそれが、自らを鼓舞させるためのエンパワーメントとしての暴力、最早活力のようなもの、に変わったことは、年齢的経年変化を考慮に入れたとしても決して悪いことではない。

ロックは活力の音楽。入魂の原動力であると今一度自らに知らしめるTMGEのサウンド。30年を経て未だその力は衰えることを知らず。

ハイレゾ、4Kなど、デジタル・フォーマットの進化も目覚ましいものがあります。どこまで、どのように残せるか、今はやれるところまで...

https://www.thee30th.com/news/73

最新の技術もやがて古いものとなれば、あの当時、最新式で無敵の存在だと思い込んでいた自分自身も古いものとなった。それでもあの時に摂取していた養分は今でもしっかりと息づいている。

TMGEを聴く度に自分を殺して自分を生き返らせる。暴力的な新陳代謝。チバユウスケへのあの世への餞にするならば、そんな接し方で十分じゃないか。

だからこそ出来る限りボリュームを上げて。とことん自分を傷つけて、とことん自分を蘇らせる。

生と死に決定的な境界線があるとしたら、そこにいるかいないかだけの差だ。こちらから何度も、何度でもそのドアをノックしてやるよ。

ハロー、ハウアーユー?俺は元気だよ。

is this High Time?(生産限定盤) [Analog]

Channel U / 緑黄色社会 (2025 44.1/16)

以前聴いた際にはあまりにも音楽的に優等生でつるっとし過ぎて、全く印象に残らなかった緑黄色社会。

自分の中で風向きが変わったのは「花になって」がたまたまサブスクのプレイリストに組み込まれていたのを聴いてからであります。それまでの優等生然とした印象をひっくり返すかのようなザラッとした質感とどこか泥臭い歌詞。それを潔しとするパワー。一発で鷲づかみにされていたのです。

そんなこんなで本作のリリース。早速聴いてみたところ、実にカラフルなアルバム!これまでの印象は一体何だったのかと。この華やかさはどこから現れるのだろうかと思いながら何度も聴き込んでいるうちに気がついたのは、ボーカル長屋晴子の多彩なそのスタイル。抜けと歯切れが抜群に良く、コロッと耳に入り込んでくる歌声がキャッチー。

ポップスなるもの、キャッチーさが全て。突き抜けてズバ抜けたキャッチーを持っていれば、その時点でポップスとしては大成功。SONYポップスの強みは、そのキャッチーさを商業ベースに乗せるのが抜群にうまいこと。そこの歯車が噛み合うと無敵になるのですよね。

優等生であることは決して悪くないのでありますよ。フックとなる要素があるかないかで決まってくる自分との相性が、ここに来てストンとハマるところにハマったということなのでしょうね。そのフック、契機になったのが前述の「花になって」であって、それを間口として聴いてみたところ正に自分好みのポップスがそこに詰め込まれていた、これぞポップス独特の刹那の出逢い、巡り逢い。

Channel U (通常盤)

SONYポップスといった観点で行くと、先輩であるいきものがかりとの様々な相似性についてもつらつらと考えてみたことがあるのですが、それはまた別の話。機会があれば。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 / スヴャトスラフ・リヒテル, ヘルベルト・フォン・カラヤン, ウィーン交響楽団 (1962/2020 DSD64)

クラシック音楽に傾倒すること10年ほどになる。演奏と自分の感情とを重ね合わせて、ただ自分の勝手な解釈で聴くこと、それもまた10年ほど。そこにある技巧であったり、演出であったり、解釈であったりと言ったものを、知見に基づいた観点で聴くことはほとんどなかった。

その理由は自分が中途半端なクラシック音楽聴きだったからなのかもしれないし、理屈を飛び越えてこの音楽の世界に踏み込んだからなのかもしれない。

一方でそのような土台がなくとも楽しむことが出来る音楽として、自分の中ではポピュラー音楽との区別、差別がなく聴けているのもまた事実。自分の中での理解、解釈で楽しんでもよいのだろうと割り切って聴いている。

そこでしばらくぶりにリヒテルのチャイコフスキー。重い。それは聴くに堪えない重さでは決してなく、音の一つ一つが楔や爪痕となって自分の耳に入り込んでくると言った意味合いにおいての重さ。

ロシア音楽が持つ特有の強靱さであったり、豪奢に通じるかのような華美であったりといった側面を多分に演奏に乗せているリヒテルの響きが、巡り巡って10年経過した自分にまた新鮮に届いてくる。

カラヤンが指揮する歯切れのよいオーケストラと相まって、60年数年前の演奏が現代の演奏との比較においての褪色ですら魅力となり、黴が現れることも、風化に陥ることもなく、一つの決定稿として存在させている。その存在感の強さが、時代を経て「残る」演奏としてしっかと立脚している様に一方的に圧倒される。

圧倒される音楽であることもまた、クラシック音楽の魅力の一つ。ポップスやロックといった刹那の快感とはベクトルが相反する、時間を遙かに越えて今に受け継がれてきた音楽としての彫りの深さの堪能を可能とする。

ここにあるリヒテルとカラヤンの演奏が、21世紀も四半が過ぎようとする今の時代に生きる自分に愛されているその理由は、彼ら音楽家が持っていた譜面への見識と創造力、音楽なる造形物に対する苦愛がそこに花咲いているからなのだろう。

翻って自分が持っているこの見識の浅さは大した問題ではない。琴線に触れる音楽があるからこそ自分がここに居続けるわけであり、その襞を震わせてくれる理由は、そうしてくれる音楽がそこにあるから、ただその一つの理由だけでよい。

チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番 / ラフマニノフ: 前奏曲集 (SHM-CD)

このところちょっと(20250429)

0.
豪快なまでにブログの更新をしていませんでした。とは言え、私にとっては当然の事ながら、日常的に音楽を摂取しておりましたが。

本日からGW9連休です。飛び石になるところに有給休暇を突っ込みました。こんなに豪快なGWは人生初かもしれない。

1.
連休初日の今日は高校時代の同級生を自宅に迎えて、昼間から酒を飲みながら音楽談義。サブスクがあるおかげでどのような難儀なリクエスト楽曲でもあっても、その場で即アクセスが出来て話題を分けあうことができる。なんと言う素晴らしい時代。その素晴らしい時代まで生き続けたこと、何でもないようなことが幸せだと思うわけであります。

4時間以上飲んでいたので、何を話題にしていたのか半分忘れかけております。宮本浩次の最新曲がまるでX JAPANであるとか、BAND-MAIDは日本の女性バンドで今最も熱いとか、良質なJ-POPはアニメにこそ眠っているとか、松本孝弘によるカヴァーアルバムがイカしているとか、そのようなことを話していたような気がします。

その友人とはASKAのライヴを見に行こう!と話が盛り上がっているのですが、チケットが取れないことには始まらない。どの公演を見に行きたいのかと言った所までは話は固まっているのですが。

2.
友人を最寄駅まで送り、その往復で夜風に当たり少し酔いを覚ましてからは、中島みゆきの最新ライヴ音源集を。

近年リリースされた楽曲にあまりピンと来ていなかったのだけれども、このような形でのライヴの凄みを持って収録されることで、突如説得力を持って訴えかけることもあるのだなと。

それは中島みゆきのベテランとしての歌の手腕によるものなのかもしれません。またその矜持とでも言いますか。とことん強い歌の言霊が耳を惹きつけて離さないのですよね。

そんなこんなで「倶に」「心音」と言ったあたりにガツンとやられながら、少しだけ夢うつつでありました。

3.
今はこれを久しぶりに聴いております。

冬美さんによるJ-POPカヴァーは珠玉でありますな。染みる。私めの齢51「人生色々経験してきたぜ自分」的なバイアスを取り除いたとしても染みる。

このアルバムの白眉は鬼束ちひろの「ヒナギク」と大友裕子の「傷心」であります。女性的な「生きてはいるけれども草葉の陰から怨念」を歌い上げる冬美さんが素敵過ぎる。

4.
坂本繋がりで思い出した。

坂本真綾さんの30周年記念楽曲投票が始まっていますね。1回1曲投票可能。〆切まで1週間に1回は投票出来るそうです。

www.jvcmusic.co.jp

自分が投票するとしたらどの曲だろうかと考えた瞬間に頭に浮かんだのは「ユッカ」でありました。好きな曲は数多あれど、いつ聴いてもどのようなシチュエーションで聴いても涙してしまう曲はこれなのですよ。すなわち自分的名曲ということですね。

5.
この一ヶ月どのような音楽を摂取していたのかを全くと言ってよいほど思い出せません。順調に脳は老化しておりますな。それでもいいのです。人間としての普通な流れでありますから。

6.
B'zの今年の『UNITE』企画。チケットを取れる気が全くしない。

THE YELLOW MONKEY、マキシマム ザ ホルモン、MAN WITH A MISSION、ONE OK ROCKとは、一体全体どういうラインナップなのかと。チケットを取らせるつもりがない意地悪なのだろうかと。狂ってやがる。B'zでしか出来ない、B'zだからこそ可能に出来るこの企画。

とは言え、取りあえずこのうちの1公演の抽選申し込みはしております。それが外れたら一般発売で片っ端から申し込んでやります。すなわちその心は、どの対バンでもいいから絶対に観てみたいアーティストばかりということなのです。

THE YELLOW MONKEYは私の人生的に観たい。

マキシマム ザ ホルモンは激しい興味本位で観たい。

MAN WITH A MISSIONは海外受けするその理由の一端を観たい。

ONE OK ROCKはライヴがすごそうだから観たい。

もうね、単なるミーハーですよ。

7.
トッパンホールで開かれた、クリスティアン・ベザイデンホウトとフライブルク・バロック管弦楽団によるコンサートを観てきました。今月頭の出来事ですね。

初めてのフォルテピアノ、初めてのピリオドオーケストラ。響きの上品なホールで浴びた演奏は、極上の心地よさでありました。

決してガツンと来る類いの演奏ではありません。ベザイデンホウトによるついばむような演奏は、そこにいるわずかな観衆に向けた繊細な音を奏でて、モーツァルトの旋律が持つ朗らかさを柔らかく表現しておりました。

他にもハイドン、小バッハの作品も。ピリオド・オーケストラの小編成ならではの演奏の親しみやすさが強く印象に残る、実に幸せな時間でありました。

8.
・矢野顕子&上原ひろみ
・Pat Metheny
・デラックス×デラックス
・東京スカパラダイスオーケストラ
・竹内まりや

以上、6月までにライヴ鑑賞することが決定しているアーティストです。息をしていない俺の財布、大丈夫か?

9.
WOWOWで録画したライヴ映像をほとんど消化しておらず、そのくせU-NEXTでスカパラの甲子園ライヴはしっかりと鑑賞し、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートにも観たいプログラムはわんさとあるが未着手状態で、自分がやりたい事の方向性が暴走している今日この頃。完全に耳と目のキャパオーバーでありますな。

このGWでどうにかしよう。でもGW後半には、自室を離れた俺的ビッグ企画が待ち受けているんだよな。

結局どうにもならないような気がする。

10.
以上、そんなこんなで。

NO BORDER HITS 2025→2001 〜ベスト・オブ・東京スカパラダイスオーケストラ〜 / 東京スカパラダイスオーケストラ (2025 96/24)

音楽を楽しんでいる時くらいは常にハッピーな気分でいたいよね。

そのようなことを思うようになってきました。若い頃は音楽と共にダウナーになってみたり感傷的になってみたり、いたずらに自分を痛めつけていたりもしたのですが、このところはその道具として音楽を利用することもなくなり、ただ自分を自分たらしめる時間に必要な養分が音楽であると、そのような事を考えるようになってきたのです。

自分自身が年齢を重ね、少しは老成の域に入りつつあることもその理由の一つでしょう。あの未曾有のコロナ禍を経て、音楽と自分との関係性がより強固なものとなったこともあるかもしれません。

ライヴやコンサートにマメに足を運ぶようにもなりました。その原動力となっているのは、常に接することの出来る音楽と、一期一会の音楽とは大きく異なるものであるとの認識が強くなったことにあると考えています。

前者はいつどこにいても、音楽を楽しむためのツール、デバイスさえあれば楽しめるものであり、繰り返しの鑑賞を行うことでより音楽への理解を深めることに繋がっています。

後者は瞬間瞬間に発された音に対し、プリミティヴに自分の心を反応させるための時間であるとも言えます。

いずれにせよ合流するに至るところは、「それで自分が幸せになれる」ことにあります。

スマートフォンに飛び込んできたメールに、東京スカパラダイスオーケストラのライヴインフォメーションがありました。一瞬の迷いもなく抽選に申し込み、ラッキーなことにチケットを押さえることが出来ました。約20年ぶりのスカパラライヴ参戦です。

過去に参戦したライヴ、あの時の自分は今思えば人生の最もどん底、最も辛い時期にあり、その中にいて逃げるようにスカパラのそれに飛び込んで行っていたように思えます。

その行動に至った理由は、とにかく幸せになりたかったからだったのでしょう。その当時の幸せとは逃避であったのは事実です。現実から数時間でもよいので抜け出し、幸せの一端を自分の元に取り込みたいと考えていたことでしょう。最早記憶は遠くになりにけり、ではありますが。

チケットの発売と同時に、スカパラのベストアルバムがリリースされていました。もちろんそれを手元に置き、何度か再生を重ねています。CD換算3枚組となる相当なボリュームではありますが、聴けます。そこには幸せ、ハッピーがあふれているからです。

思えば東京スカパラダイスオーケストラなる集団の歴史には様々な人間の去就がありました。メンバーの逝去、参加と脱退、エトセトラ。それら一つ一つのドラマが、コンパイルされたハッピーな音楽の集まりへと繋がっている事実。

人間はそこから抜け出せばどこかしらに何かしらの幸せを見出せることが出来るのでしょうか。何も大きな幸せである必要はなく、小さな、次の日にそれを忘れてしまうような小さな幸せを幸せと認識出来る日々がやって来るのでしょうか。

少なくとも自分の元にはそのような日々がようやくやって来たように思えています。ハッピーになるために音楽を楽しみ、音楽に接することでハッピーになる。なんだ、音楽と自分はいつの間にかWin-Winの関係になっていたじゃありませんか。

数ヶ月後に足を運ぶスカパラのライヴはきっと、いや間違いなく、幸せの集大成、その一端となります。それは刹那のハッピーかもしれませんが、自分にとってはこの上ない至福の時となるはずです。

その時までこのコンパイルを楽しみつつ、自分にとっての幸せなるものの味を噛みしめ続けて行こうと考えています。音楽が続く限り、自分の幸せも続いて行くのだと信じて。