2022-07-05から1日間の記事一覧
今日は一日邦楽ばかりだったと振り返りつつ、カームダウンの一発として。ヘッドホンにてゆったりじっくりと鑑賞。どこかしらハイだったのかもしれないね、この日は。
井上陽水作品の中では、最も氏のリリース活動における橋渡しになっている存在ではないかと思いつつ聴いた。それ以前とそれ以降、と言う意味合いにおいて。
このそこはかとないクラシカルクロスオーバーさ加減が、今の気分にふさわしいと思いながら聴いていた。
三浦大地(当時)の衝撃を再確認させて頂くべく。小学生時分でこの音感とリズム感だものな。そりゃ、とんでもないわけで。もう何回再生させたかすらも分からないくらいに聴き込んでいる作品でありますが、聴く度に驚かされるのでありますよ。
恋愛に対するこのとことん突き詰めた昏さはどこから来るのだろうね。もちろんその昏さが魅力的なのでありますが。報われない歌詞の曲ばかりなのだけれども、聴感上の後味はスッキリしているからこそ柴田淳を聴くことが出来る、と言うのは事実なのであります。
いやいや、コンサバなのは俺じゃね?完全に動脈硬化起こしてるよ。少し観点変えます。それでもやはりコンサバなのだけどね。自分が発したコンサバと言う単語の魔術に捕らわれてしまった。
ももクロのような飛び道具的な存在(と自分は常々考えている)だと、そのぶっ飛び具合と、音楽としての面白さの両立を目指すのは困難を極める作業なのかもしれない。
今日は聴く音楽聴く音楽、耳から頭へ頭から手へとダイレクトに繋がっていますよ。これはストレス解消なのか、それともこのところ真っ当に自宅PCに向き合う日が週に1~2日しか作れないので、ため込んだものを吐き出すかのごとくのプレイなのか。私のウィーク…
どの時代にも言えることなのかもしれないが、2020年代に入りまたしても邦楽市場の世代交代が急速に進んでいる感を受ける。サウンド的に何かがドラスティックに変わったとは感じられないのだが、音楽を取り巻く環境のアップデートがとんでもない勢いを持って…
この時代の邦楽が持つ独特のウェットさ加減を、見事に表現している巧さもあるのではないかとも。時代の空気感まで再現させる完コピカヴァーなど、そうそう簡単に仕上げられるものではないと感心するのだよね。
「さらなるそれ以降」に現われた数多くのボーカリストに一通りコピーし尽くされ、吉岡聖恵が確固たる存在である必要もなくなっているのでは、と。それほどまでに聴き手の選択肢が広がっていると見ることも出来るが。
期日前投票とプラセンタ注射を終え、帰宅する頃には文字通りの汗だくに。速攻でシャツを着替え、アイスを食し、身体が落ち着いて来たところで、洗濯物をたたみつつこのアルバムを。それにしても朝から森口博子、中森明菜、斉藤由貴と、一体私はいつの時代の…
総じて耳に優しく響き、それでいながらもリマスタのあざとさを感じさせない、実に良質な仕事をしてもらっている作品に、リリースから40年の時を経て仕上げられている。
月初3連休の初日の朝一に。