音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

当コンテンツではアフィリエイト広告を利用しています

サクラ咲ケ / 嵐 (2005)

1987 パラダイス銀河 / 光GENJI
1992 心の鏡 / SMAP
2005 サクラ咲ケ / 嵐

という流れなのかな。

嵐がこの手の「ジャニーズスタンダード」を手に入れたというのは、本当にとってもいいことだと思う。上に挙げた他の2アーティストと異なるのは、嵐の場合、CDリリースを始めてからここに至るまでの時間が少し長いということくらいかな。

この手のジャニーズスタンダードというのは、全てのジャニーズアーティストが得られる曲ではなくて(※1)、雑味のないポジティブな力がアーティストサイドの演出とクリエイトサイドの意識とがいいタイミングで噛み合わないと得られないんだけど。

それはSMAPの功績によってスポットライトが当てられた「ミュージシャンが書くことでハクをつける曲(※2)」というだけで済む問題ではなく、「アイドル」的方便が成立している時期だからこそリリースできるのではないかとも思う。すなわち、今のSMAPではそれは無理だろうと。

それにしてもジャニーズだからこそできる世界はあるわけで、これを否定し続ける輩は、ケーキはホールではなく、実のところはピースにならないと、実際の食用には向かないという現実を把握する力に欠けるんじゃないかと思うわけだ。もしかしたら米は木から作られると思っているかもしれない。(えー)

ともあれ、駆け引きやら引き算のないこの手のポジティブというのは、今後も僕は否定しないで行こうと思うのだ。できれば四十になっても、カラオケで「生の」ジャニーズを歌っていられるようになりたいというか。それをキモイと思う集団には位置していたくないなぁというか。

※1
たとえばKinki Kidsにも「ポジティブ」という意味での曲はあるのだけれども、歌詞が意識している年齢が若干広いという点では、ここに該当しない。「ジャニーズスタンダード」というのは、ファンであるところの女の子を相手にしているように見えて、実のところ、描いている人物像、焦点は、当事者であるアーティストを強く反映した男の「子」だというところで初めて成立するジャンルなのだ(もちろん、そこには二次元創作物的デフォルメが過剰に施されているわけだが)。

※2
もちろん、ジャニーズアイドルに向けて「アーティスト」が曲を書いていた例はそれ以前にも大量にあったわけだけれども、ジャニーズという存在を肯定的にしてしまったパラダイムシフトであるSMAPの存在によって、事実としてのその行為をゼロからプラスに大きく転じさせたという事実は間違いないわけで。まさかここで書くことで書き手である自分が天狗になるとは思わないけれども(そんな厨房な!)、近藤真彦に対する山下達郎に織田哲郎、田原俊彦に対する久保田利伸、光GENJIに対するチャゲ&飛鳥(当時)という(黒歴史的)既成事実は忘れてはいけないわけで。