1988年「だってしょうがないじゃない」を聴いてはっきりするのだけど、いわゆるパンチの効いたアッコ節というのは、70年代のソウルフレーバーたっぷりなアレンジがあって初めて成立するものだと。80年代シンセを多用した水商売的カラオケソングの代表格「だってしょうがないじゃない」(88年)では、むしろ和田アキ子であることを封じ込めるようなボーカルに徹していたことに今さらながら気づかせられる。個性を押さえ込むことで「スナックのママ」ライクな応用が利くようになっている。
一時代を築いた歌手の不幸は、歌手そのものの進化が強いられないとしても、トラックが勝手に進化してしまうゆえに、歌い手としての個性だけが取り残されてしまったかのように乖離してしまうことなんだろう。たとえば「悩み無用!」で有名になった「Everybody Shake」(01年)を作るサウンドは、和田アキ子に唯一残された現代的解釈の曲に聞こえる一方で、BPM外にある譜割りの流行りについていけず、タメで乗り切ろうとするスタイルが痛々しくもある。それを考えると、芸能界のご意見番とやらで芸能人としての個性で時代を渡り歩くことはやむを得ないことなのかと。
加藤登紀子ならではの語りソング「今あなたにうたいたい」(88年)を、メーターが振り切れない程度のアッコ節に抑えて歌いきるあたりが、歌手としての和田アキ子のピークだったかのようにも思えてくる(※)。もしこの曲がビッグヒットにつながっていたら、その後の歌手として壊滅状態になる(小西康陽ブランドを借りるなどして、仕掛けられたリバイバルトレンドに成り下がるしかなかった)ことはなかったんだろう。歌唱スタイルの緩やかな変遷の先に、今とは異なる和田アキ子がいてもよかった。
「タイガー&ドラゴン」(03年)はある種和田アキ子に残された最後の砦になりえたはずなのに、パロディを含めた猥雑さを盾に、横山剣の方がより和田アキ子を表現しているというのは、実は一番パンチの効いた皮肉なのかもしれない。
※
それを考えると、中森明菜の難破船(加藤登紀子作品)も87年でほぼ同時期。符丁。
もちろんどの曲もいい曲なのよ、うん。この手のベスト盤の宿命で、終盤に収録されている曲の失速が目立つのはやむを得ないとして。「古い日記」なんて、和田アキ子が歌わずして誰が歌うというのだ、と。