音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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空気公団作品集 / 空気公団 (2007)

これを聴きながら、まずは衝動的草稿。

「音を説明するということ」

その音楽を説明するときにいかにして類似品との比較を取り除くかということに苦心して欲しい。

そんなえらそうなことを書いている時点で自分がオッサンになってしまったことを自ら晒しているだけの恥辱プレイなのかもしれないけれども、実際に一サンプルとして、その「当然のように用いられる比較表現」によって仲間はずれ感をおぼえ、「新規リスナー」の獲得に失敗させられた実例を己として知っているからこそ、わざわざこんなことを書いてしまうわけで。

その無駄な壁さえ取っ払ってしまえば、ディスクレビューの敷居は一気に下がる。書き手である自分が持っている知識としての音楽と照らし合わせるだけで、確実な字数稼ぎにもつながれば、含みを持たせた展開(そして往々にして投げっぱなしの展開)として、不要な創造力をかき立て、読み手にその予備知識としての副読本を必修過程として求めることができるわけで。

可能であれば!

(一気にトーンダウンをして)1アーティストの1作品を語る上において、それ以外の参考文献を引っ張り出さずに作品を文字の中に固定したい、もしくは、その文字からはみ出してしまった勢いの中に反映させたいと思うことが多分にある。それも洋楽アレルギーが発生しだした、十代半ばからのあの「はじめにバイブルありき」に対して得体の知れない疑問を持ち始めた頃の自分の耳元で「それは実は彼らの逃亡手段、保身なのだよ」と囁いてあげたいほどに、未だに馴染めないそれなのだ。

そんなこんなで、今日もまた自分の言葉や表現力、擬態音擬声音の住まうところに放り投げてしまわない「俺と音楽」に反映させたい、もしくは、反映できないもどかしさに煩悶としてしてしまう、そんな誕生日翌日だったりするわけで。

つづきは音波本体で、というか、まさかこんな書き殴りに対してさらに書き加えるとは思ってもみなかった。もう相当飲んでいるのに(一応言い訳)。