音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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夏のぬけがら / 真島昌利 (1989)

昨日借りたCDを返却しにTSUTAYAへ。ついでに旧譜新入荷棚を何気なく眺めてみたら、このアルバムを発見。「え?これってもしかして?」と思い、手に取ったらそこには「アンダルシアに憧れて」の文字が。瞬殺で接収。

この曲はリアルタイムで聴いていて、とにかくその歌詞の舞台と演奏の盛り上げ方に感動をしていたところ、近藤真彦があのようなカバーを出してきてなんともガッカリさせられた記憶が。この曲は原曲で聴かなきゃいけませんよと思いつつ早幾年、まさかこんなタイミングで遭遇するとは。

アルバム全体の流れは非常に穏やかにフォーキー。THE BLUE HEARTSとしての成功の裏側で、詩集のような作品を作ってみたかったのだろうななどと想像しながら楽しむ。シンプルな楽器編隊、朴訥なボーカル。もしアルバムとしてこの作品をリアルタイムで聴いていたら、きっとなんだかよく分からなかっただろうな、という半径の短い詞の世界。いまだからこそ、その素朴な歌詞の意味がすんなりと心に入ってくる。

そしてアルバム全体の流れに緊張感を持たせる「アンダルシアに憧れて」。アルバムにすんなりと収まるあたりが、実は末恐ろしい1曲だったのではないかと思わせる。もう、客観的になど見ていられない、名曲中の名曲であります。金子飛鳥のバイオリンがその緊張感を一手に担っているということも、今ならば分かる。この曲は是非ともオリジナルで聴いて頂きたいなどと再び強く思った次第。

アルバムとしても、つかずはなれずのいい関係でいられそうな気がする。一人で車を運転させているときなどに、ちょっと切ない気分で聴けるのではないか、などと。