歌詞を見ながらじっくり聴いていくと、こんな若造の適当な絶望感に徐々に感化されていくのを実感する。せいぜいが青年の描くありがちな絶望感でしかないものを、なぜ大人になった今になってもプロトコルが一致する?
すなわち自分が未だ鍵を持ち続けていると言うことであって、それを捨てられずに今に至っていると言うことなのだろう。絶望感の鍵。いい大人になれば、誰だってそんなものはいつの間にかどこかに置き忘れてしまうものだというのに。
鍵を持ち続ける限り、子どもの歌う歌に絶望感を求めてしまうのは救いようのない事実だ。いつまで子どもでいる気だ、自分は。