レースのカーテンを閉め、照明を落とし気味にしてこのシベリウスを。
今日は朝からイマイチ調子が上がらないので、ちょっと小難しい感じの曲をどんよりかつじっくりと聴いてみようと思った次第。
以前にも書いたけれども、コリン・デイヴィスのシベリウスは、LSOと組んだそれよりも、このアメリカのオケと組んだ古い演奏の方が、不思議な円熟味と説得力があるように感じられる。
全体としては重いなりにスッキリとした要素もあり、聴きやすくはあるのだけれども、淡泊ではない。これがLSOとのそれだと非常に淡泊な、何か形が残らないシベリウスになってしまっていたのだよね。
指揮者とオケと年代との組み合わせは、それ以外にも様々な要素が絡み、そこに自分の好みが加わるものだから、クラシック音楽には「解」はないのだと、最近ようやく思えるようになってきた。
同じ曲でも他の演奏になると、それはそれでやはり好きだったり、好みではなかったりするわけで。