今でも斉藤由貴のこの時期の作品を愛してやまないのには理由があります。
何よりもこのボーカルが作り出す透明度の高い世界観。そして歌詞の世界にも繰り広げられる、媚びない少女性。この二点を自分は高く評価…いや、愛しているのです。
とは言え斉藤由貴も人間でありますゆえに、「清純」などと言う安易な言葉は使いたくはないのです。清純なる厄介な人間ではなく、人間としての温度を保ちながらも、そこにある種のファンタジーを振り掛けたような、そのような存在が、この時期の斉藤由貴なのではないかと。
斉藤由貴という存在、フィルターを通して、ある種の永遠を美しくラッピングして封じ込めた作品たちであるとも言えるのかな。
だからこその脆さがそこにあるのだよね。それこそが清らかさに繋がっている。清らかさ≠清純ね。それが巡り巡って透明性に繋がって行くのです。