音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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青い炎 / 工藤静香 (2021 48/24 Amazon Music HD)

中島みゆき楽曲が持つ毒。

それは劇薬としての毒でもあり、良薬としての毒でもあり。

それらが中島みゆきの手を離れ、カヴァーされることによって、毒はトリートメントされ、楽曲の持つ本性が現われることがある。

一方でカヴァーをしたシンガーが毒に侵され、曲としての存在を台無しにしてまうケースが多いことからも、中島みゆき楽曲が多くの毒をはらんでいることを証明しているように思われる。

工藤静香がその毒を口に含んだ場合はどうなるだろうか。

中島みゆきカヴァー企画であった前作『MY PRECIOUS -Sizuka Sings Songs of Miyuki-』では、残念ながらその毒を浄化することは叶わなかった。

そこでは歌は典型的なカラオケ状態となり、工藤静香の自らの色に染め上げられ過ぎていた。結果、歌われた楽曲が中島みゆきのものであることの意味、企画の意味そのものを失するに陥っていた。毒を毒で制するコントロールが利かなかったのだ。

あれから約13年を経ての今作。

ここでは歌そのものが、中島みゆきの毒をあえて自らに積極的に盛った雰囲気をまとっている。

工藤静香としてのカラーを抑制し、中島みゆき楽曲を歌うことの準備がここに来て整ったとも言えるだろう。中島みゆきの毒と工藤静香の色を絶妙にブレンドさせることに成功しているのだ。毒を下地にして、色が浮き上がっている。

それは毒を含み、そして憑依させることをあえて受け入れた結果であると捉えることもできる。

今作単体で見れば、工藤静香というシンガーの存在を抜きにしても、中島みゆきカヴァーの企画アルバムとしての成功例として挙げることができ、前作との比較であれば、ボーカリストとしての工藤静香の表現力と、中島みゆきコンテキストの読解力の大きな成長であると見て取ることが出来る。

考えてみると工藤静香ももう50歳。

中島みゆき楽曲を歌うことを持ち技、得意としていた研ナオコが歌手としてのピークであった頃の年齢をとうに超えていた。中島みゆき楽曲の歌い手としての旗手となることに、もう不足はない。そこに思いが至れば、このアルバムを受け入れない理由も、最早言い訳でしかなくなってくるだろう。中島みゆきカヴァー作品のニュースタンダードがここに誕生したのかもしれない。