見通しがよく、清らかな聴きごたえのある、ホリガーによるシューベルト。
「見通しがよい」と言う表現を使うことが最近増えているように感じていたのだけれども、それはもしかすると、演奏自体がそうであると同時に、自分がクラシック音楽に接する際の「聴く耳」が出来上がってきていることを意味しているのではないかと思い始めた次第。
それはある意味において正しいのではないかと。クラシック音楽など聴けたものではなかった過去の自分の耳では音の塊でしかなかった音像も、今ではそれを分解して聴けるようになってきたと言うことか。
それを証明するには、まだ時間や経験を重ねる必要はあると思うのだけれどもね。