音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

cut070221 -雨-

花も終わった胡蝶蘭の小さな鉢植え。その背景に今日も雨が降り続いている。

雨、三日目。

何もすることもなく、時間を持て余していた私は、その空からやってくる水の流れをただボンヤリと眺めていた。部屋の真ん中に置いた椅子の上に一人座って。

雨に大した思い入れもない。それでも感傷的な思いにとらわれるのは、万人共通のものなのだろうか、それとも私が勝手にそこにセンチメンタルを見出そうとしてるだけなのだろうか。

雨を喜ぶ花と昆虫は物も言わずにじっとその恩恵にあずかり、原色の傘を手にした子どもたちは満面の笑みを浮かべ、走り抜けていく。まるで私がここにはいないかのようにして。

この天気を嫌う理由は特にはない。せいぜい外に出るのがおっくになるくらいなもので。それは光の三原色のようなもの。夏前天気の三原色。当然のようにそこにあるもの。

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ワイパーが濡れたフロントガラスに無駄な抵抗を仕掛ける。夜のその道はあまりにも暗く、僕の心も深く沈んでいた。

全ては隣でうつむき涙をこぼしている女性のせいだ。かける言葉も見つからない。やがて僕は言葉に頼るのをやめ、慎重にアクセルを踏み続けることに専念した。

行き先なら分かっている。終わる、と言う二人の地点。濡れてしまった肌に、空調の冷たさが湿度を帯びて入り込んでいく。閉ざされた空間の中で。

終わりへと導くその手に誘われるように、僕はハンドルを握っていた。

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雲が低い。文字通り垂れ込めている雨雲。風に乗っているのかどうかすらわからなく、ただのっぺりとして目に映る空。

ふと古い雨の歌を思い出す。古いと表現出来るくらいにまで、私は歳を重ねてしまった。

私の傍らを足早に駆け抜けていった女性のことを、何とはなしに思い出していた。午睡が気まぐれに見せる白昼夢であるかのように、それは儚く、そして今の私には大した意味も持ちはしない夢。

いつの間にか雨脚が強まり、白く濁ったカーテンを引いたかのような空気の幕に。そこでは光も淡く、そして濁っていた。

明るさを忘れた空が私の心を柔らかく沈めていく。このままこの空模様に抱かれて消えてしまいそうな錯覚にとらわれ、それも悪くはないと呟く。口には出さずして。

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車は雨音とエンジン音に包まれていた。信号待ち。この沈黙をごまかすための音楽すら無用だとさとり、言葉のない会話に意識を傾ける。

終わるものは終わる。あまりにも短い季節。そのようなものがあってはいいのだろうかと、逸れた意識を彼女のため息が引き戻す。その場しのぎの涙はいつの間にか涸れていたらしい。

僕はそのようなものには騙されないと自負していた。涙など女性の勝手な都合でしかないと思いこんでいた。

横目にその表情をうかがう。クラクション。信号はいつの間にか前へ進めと命じていた。

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カップの底にわずかに残ったコーヒーをすすり、椅子から立ち上がる。窓際に歩み寄り、この雨の本当の姿を目に留める。あまりに大きな雨粒。この窓枠がなければ、私はそのまま外へと足を踏み出すだろう。

あの日、私の前にあったのは窓枠だったのだろうか。踏み出せず、ただ自分と言う部屋の中でいきがっていただけの日々。その小さな世界で、自らの万能感を錯覚していただけの日々。彼女はどうだったのだろうか。本当の世界を既に知っていたのだろうか。

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彼女の家の前で終わる。開くドア。室内灯がようやく二人の顔をあらわにする。じっと僕の顔を見つめ、ひどい顔をしていると告げられる。その時の彼女の表情が思い出せない。否、顔が思い出せない。

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彼女は確かに実在していた。それだと言うのに、今の私はあの頃の僕を思い出すことすらままならなくなっている。あまりにも無駄な記憶たちが私の中に巣食い、支配し、肝心なことをそこから引き出せなくなっている。

おそらくその繰り返しなのだ。その時々の現実をうかがうことも出来ずに、いつも脇を見て運転しているかのごとく。彼女のこともおそらくそうだったのだ。一瞬の僕の隙に入り込んだ彼女を、その時の僕が受けいれてしまった脇見。本題を見失った僕が入り込んだ過ち。

私はその事象だけをまだ引きずっている。その日と今とを結びつけていたのが雨の記憶だったのだ。

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やがて車の中は僕だけになった。私は今もこの空間に独り。人生に事故があるとするならば、それはきっと雨の日に多く起きるのだろう。

そしてまだ降り止まぬ雨。空に明るさは見えない。晴れ晴れとしている人生の中に、時折暗雲が垂れ込めるならば、きっとそれはこのような雨の日の魔術といたずら。私は雨に踊らされ、今をこうして生きている。

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Inspired by these songs.

大江千里「Rain」(1988)
藤井フミヤ「わらの犬」(1998)