自分以外の他者に向け、祈りを捧げる事案が訪れる。昨日までの山荘行き直前にその事実が判明したので、今回は気持ちの整理をつける山荘行きでもあったのです。
その者に対して自分が今出来ることは祈ることだけなのだと。
そしてブルックナー。この音楽は祈りに通じる何かがあるように思いながら聴いていた。祈ると言う行為は静かなるものなのかもしれないが、その中にも起伏はあるのだろうと。
音楽にも祈りが宿るとするのならば、それはアニミズム的な要素に頼っての祈りなのだろう。
この祈りを持つ期間は長くなるのか、それともあっけなく終わってしまうのか、それはまだ分からない。いや、終わってみるまでは全く分からない。
それならば、祈るという行為を自分の生活の中に取り入れ、それを日常とするまで。
それが自分にとっての重荷にならない程度に。