シベリウスの交響曲には何か人外のものが棲みついている。
どの指揮者のどの演奏を聴いても、それは音として確実に存在しているのだから間違いない。
濃淡、疎密。それら度合いの差はあるものの、いる。
シベリウスは何を見つめ、音として記したのか。
そしてそれらをあまねく蘇生させることに導いているのはなぜなのだろうか。何がそれを為しているのだろうか。
いや、その、バジェットCDボックスで持っていたのだけれども、HDtracksがアンケート回答者へのサービス全品25%OFFをやっていたもので、ついこの192/24版ボックスセットを購入しちゃったのですよ。仕方がない。人間だもの。