このような作品でどっぷりと時間に浸るのでありますよ。丑三つ時も回ったしね。
それにしても、谷山浩子に限らず、70年代ソングの歌詞には「死」と言う文字が結構チラついているように思うのは、単なる気のせいですかね。
この後80年代に突入して世間が一億躁状態になり、そのような単語、世界観が遠ざけられてしまったのかもしれません。
そのリバウンドで今現代、若者と死との繋がりがやたらとクローズアップされてるように映るだけなのかもしれない、などと。
そう言う意味における漠然とした絶対数は変わっていないのかもなぁ。
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まぁ、少なくとも80年代に「昭和枯れすすき」は存在しようがなかっただろうしなぁ…。