音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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宇宙 日本 世田谷 [Remaster] / Fishmans (1997/2016 FLAC)

Fishmansのポリドール三部作は「純度の高いポップス」や「究極のドリーミーポップ」などと形容してもよいのかもしれない。だがそのような簡単な説明で片付けられるほど薄いものでも決してあるまい。

音の配置、その純度の高さ。歌詞における世界の純度の高さ。トータルでのポップスとしてのクリアさ。澄みきり視界が開けている世界。完全なる覚醒のもとで目覚めた朝の思考であるかのように。

水準なるものを生み出す世間という不思議な機関から逸脱した上で、ポップスとしての懐の広さと覚醒感をも持ち合わせているこれらの音楽は、人が人としての形のままで天に昇りながらも、その作り出す影は地上を軽やかに歩み進んでいるかのごとく響く。

そのぽっかりと空いてしまった中間地点でさまよっているのは、そこから取り残された、そこへとは行けなかった、やはり市中の、世間に属するただの人間か。

混沌とした現世において、清濁を併せ呑まないことには人は壊れるか外れるかしてしまう。残念なことであり、いや、幸いなことでもあるが、人は無垢なままで生きることは出来ない。そのことを認識出来る人は、恐らくうつつの世界で生きていくことを難しく感じているだろう。

佐藤伸治とはどのような人であったのか。もちろんそれを知る由はない。作り出された音楽から察する、思い巡らせるより他にあるまい。だが、それはきっと幸せなこと。人を人として知ることは幸せであるとは限らない。

それでも音楽は人から作り出された鏡のようなものである以上、その音が語る人となりは必ず存在する。私が思い描く佐藤伸治像はそこから形成される、常に人の鼓動を天から俯瞰している、もしかすると音楽における考えは天に昇っていたかもしれない、少しこの世界では生きにくいものを感じていた人なのだ。

宇宙 日本 世田谷