生身の中島みゆきのコンサートに行くことはついぞ叶わなかったけれども、このような形で大画面・大音量でその歌っている姿を拝見できたのは僥倖ではないかと。
大晦日に一年の穢れを落とすため、ダクダクと泣いてこようと思ってはいたのですが、想像以上にこれが泣けたのです。涙を拭くタイミングを誤ったら、首にまで涙が伝って慌てたほど。
序盤の「夜行」「歌姫」でもう泣き崩れておりました。膾炙している楽曲よりもそれほど聴き込まれていないような曲の方が涙の量が多いのはなぜなのか、などと考えるほどの客観性は辛うじて失わずに観ていました。
「with」あたりは比較的知られている楽曲ではあると思うのだけれども、それでも、分かっていても泣けたのです。
涙に至った理由の一つは、おそらく自分が常時弱っているからではないかと。弱っている、と言う表現が大げさであるならば、自分とは一体何のためにここにいるのだろうかと考えるシーンが、この歳になってもまだ現れることがあるからかもしれません。
これらの楽曲を常に笑顔を絶やさずに歌っている姿もまた、歌詞との落差において涙を誘っていたのではないかと。
聴いている際に歌詞にはげまされることは多々あるけれども、それは楽曲としてパッケージされた存在であり、ワンクッション置いて聴き手である自分に届けられたもの。
一方で映像を伴ったそれは、明らかに聴衆に向けて広く行き渡らせるものなのだろうと。そこに歌い手である本人が世界に入り込むのとは異なり、世界を提示してみせるために切ったカードが笑顔なのだろうとも。
その笑顔に背中を押されてしまえば、顔は泣いていても背筋は伸ばして前に進むより他にないのです。
観ている最中にはそのようなことには思い至らなかったものの、家に帰り着き、そしてまた数多の煩悩ある自室に入れば、あの笑顔と歌の存在の理由を振り返ることもできます。
これにて2022年なる一年はほぼほぼ終了。最後の最後を涙で締めくくり、そしてまた明日への糧としていきます。
素敵な映像と音楽と歌の世界でありました。