音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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SUZUKI白書 / 鈴木慶一 (1991/2013 44.1/16)

過去にはこのような文章も。

2021年、私は47になった。鈴木慶一がこの作品を作り上げた40と言う歳をいつの間にか通り過ぎていた。

SUZUKI白書 / 鈴木慶一 (1991 CD-DA) - 音波の薄皮

鈴木慶一がこの作品、私小説作品集を書き上げた年齢からさらに10歳をストックさせた年齢に自分は刻一刻と近づいているが、果たしてここにある境地には何一つ至っていないと悟る。あまりもの己の拙さと幼さに愕然とさせられ、その才の差を突きつけられては膝を折るに至る。

凡人の中の凡人でしかない私がどれほど井の底から大声で叫ぼうと、その穴の深さに全てが吸い込まれては地表へと姿を現わすこともあたわず。弱い四十を遙かに越えるにしてもいまだ惑うことばかりで、何も成し遂げることなくあるのが今この時。絵を描き、完成を見ずにして塗り潰し、新しいキャンバスを求め、また同じ事を繰り返す。

そこからの助走を自らに求めるにしても、足枷はあまりにも重い。また、そう思いこむことで自らを慰めることばかり覚えてしまった。今を溺愛するあまり、先を描くことも忘れてしまった。今の積分が先であると嘲り嗤いながらも、堆積の雪崩を恐れる今もある。

このようにして四方に二律背反を巡らせることで言い訳にしては、次の一歩を踏み出せずに、いや、踏み出さずにいる。足踏みとたたら。地が固まることもなく。

どれほど繰り出そうとそれはただの世迷い言。じっと己を見つめている思索を模しては、その実何も見てはいない。耳だけが音を探してさまよい歩き、言葉の贅を増やして行くのみ。

どれだけの時間をふりで過ごしてきたのか。逃げ出しながらでも足を踏み出せば、それを行動と呼んでもらえるのだろうか。まだ、迷う。迷い続ける。

SUZUKI白書~スズキ・ホワイト・リポート