1970年代にデビューした井上陽水にとっての1990年代とは、一体どのようなものであったのだろうか。
ヒット曲にもコンスタントに恵まれ、いわくがついたことで有名になったCMは今でも語り草であるし(あれは1980年代末の話だが)、世の中とそこに続く音楽業界の好況に乗って絶好調に回っていたのではないかと。1999年リリースの「GOLDEN BEST」は2枚組でありながらもダブルミリオンを記録しているほど。
本作をリリースする頃にはいわゆる重鎮にもなり、リリースペースもその後落としはするものの、その内容は軽妙かつ骨太で充実したもの。1993年リリースのここではカラフルにひたすら明るく突き抜けている井上陽水を見ることができる。
バブル景気の終焉に沈む時世を嘲笑うかのごとく、とにかく華やかに、自身が持つビッグヒットの1つでもある「Make-up Shadow」(作曲: 彩目映(作編曲家、佐藤準のペンネーム))をアルバムの流れ、そのど真ん中に据えて泰然自若、堂々と振る舞う。
他にも朝の連続ドラマ主題歌(「カナディアン アコーディオン」)、後のセルフカヴァーアルバムやベストアルバムに収録される曲(「鍵の数」「5月の別れ」)が収録されるなど、その密度は高い。
本作を聴いているうちに「井上陽水とは一体いつからこのような明るく軽いキャラクターになったのか?」と考えてみたものの、時系列で見てもその明確な転換点は見えてこない。2020年代にリリースされたライヴ映像を観ると、陽水自身は昔も今も変わっていない、昔からこんな曲を書いていた、といった旨の発言をしている。
シュール、浮世離れしているようでいてどことなく世間を素知らぬ顔で観察しているような憎めないキャラクター。本作でもその特性をいかんなく発揮し、決して地に足をつけることのない不思議ちゃん、現時点でのパブリックイメージに近い井上陽水像をしっかりと彫り刻んでいる。
1948年生まれの陽水が40代半ばでリリースした本作がここまで濃厚であったことを今顧みると、ミュージシャンの現役年齢が長寿になってきており、10代、20代でデビューしたミュージシャンが、そこから20年以上のキャリアを積んだ40代でもまだまだトップランカー&トップランナーとして走り続けている現代の音楽シーンを予期しているかのよう。
井上陽水を語る際に70年代のフォークシーンで切り取ることも容易だが、この90年代から00年代にかけての充実ぶりを語ることもまた、氏の一面を見る際に重要な視点だろうとの思いを新たにした次第。
