今になって思う。move(M.O.V.E)とは何だったのか?
かしこまった顔で改めてこのアルバムをひもといてみても、その答えは見つからない。打ち込みトラック、没個性的なボーカル、パチもの臭いラッパー。実にこの時期のavex的だ。かと言って存在やセールス的にavexの中で金字塔を打ち立てたかと問われると、疑問以外の何も浮かばない。
打ち込みトラック。プロデューサーでありメンバーでもあったt-kimura(木村貴志)の特徴を挙げるとするならば、雑食性の高いポップスを作ることに長けていた人、となるだろうか。それなりのチャートアクションを保っていたFavorite Blueを自ら終わらせ、moveに注力したのだから、このユニットに掛ける本人の期待は相当に大きなものがあったのだろう。
突出した特徴を持つわけではない没個性的ボーカリスト、YURIを据えたことは、逆に見ればどのような類いのポップミュージックのトラックを持ってきても、そこに適合させられることを意味している。それは多分ある意味正しい。
パチもの臭いラッパー、MOTSUの存在は間違いなくこのユニットの最大のカラーとなっている。このラップがあるからこそmoveをmoveたらしめている。moveのトラックからMOTSUを抜いてしまえば、さほどFavorite Blueとの差別化は図られない。
しかしながらMOTSUの存在は諸刃ではあっただろう。彼がここにいなければmoveより汎用性の高いポップスになっていたはずだ。セールス的にも、もしかすると成功していたかもしれない。
アニメ「頭文字D」との専属契約とも言えるタイアップはmoveの生命線であった。走り屋文化を端的に表現していたこのアニメは、ユーロビートと強く結びつけられていた。moveは決してユーロビートの本流ではないが、音楽としてのパチもの臭さという意味では、その二者の間には共通しているものがある。
1998年にリリースされたこのアルバムがmoveの「入口」に過ぎないことは、今でも彼らの大ファンである自分が言うのだから間違いない。だがこれをいくら聴いてみても、最初の問いかけに対する答えが見えてこない。
結局moveとは何だったのか。時代の徒花、avexの徒花として片付けるのは簡単なことだが、そのような安易な言葉には逃げたくはない。でも分からないものは分からない。
とどのつまり、moveとは今現在でもパチものラッパーの第一線を走るMOTSUだったのではないか。「moveのヴは、部活のヴ」と声高く叫んでいたMOTSUが、少なくとも自分にとってはmoveであった。
そう言うことだ。
