自分が勝手に悶々と抱えているものも、それは案外と、思いもしない自分の外側でポジティブに展開されていることだってあるんだよ。
もちろんこの歳になってくれば、自分に直接降りかかってくる(自分の担当である)問題の外側の、さらに外側で進められている諸々の負荷および災禍すらも、対岸の火事でありながらも背を向けた隙にその背が焼き払われることだって十分に理解しているはずなのだけれども、それを己とそして己を信用してくれる何かとともに鎮火させていく仕組みが出来上がっているんじゃないだろうかという錯覚くらいは信じられるようにはなってくるんだよ。
それがリバウンドで理解できるようになるのではなく、自然と、当然であるかのように理解できるようになるには、まだどうやら最低でも数年はかかるかもしれないけれども。だからみんな頑張ってくれと思うし、その小さな範囲である頑張れという声援の対象の中で、そこに自分を含めてささやかに頑張っていこうと思ったりもするのだ。
ありがとう。そしておやすみなさい。