心と音楽
5月20日、休み、午前7時、コンビニへおもむく。自転車をこぐその正面に朝の太陽。ぼんやりと、でも確実に重い熱を孕み、今日もまた暑くなるぞと訴えかける。と同時に、頭の中に駆け巡り始めるのは、NOKKOの「NO RETURN」。真夏の晴れた早朝、あの逃れられな…
“Bob Mould at 4 a.m.” Is there still anger left inside me?Religion, sex, politics, et cetera, et cetera. If you point your finger and call it paranoia — this feeling of being surrounded, attacked from every side by every imaginable enemy —…
実に冴えない一日だった。仕事の調子が悪かったわけではない。体調が悪かったわけでもない。昼間の空気も和やかに緩み、花は満開を目前に控え、コートも羽織らずに出勤した、そんな日だったというのに、実に冴えない一日だった。過剰な自省癖など昔に置いて…
午前4時のボブ・モウルド。心の中に怒りはまだあるか?宗教、性、政治、エトセトラエトセトラ。ありとあらゆる敵に囲まれ攻撃されている自分を妄想癖であると後ろ指指すのであれば、指しているその背中もまた同じように指されていることには気づくまい。怒り…
鬼門の2月がやって来ました。ここまで調子も下がらずにやって来たので、今年こそは乗り越えられるかと期待していたのですが、残念ながら先日から急激に失速。本日朝にはその最低ラインにあっさりと到達し、遅刻で出社という無様な姿をさらしたのであります。…
シベリウスと向き合うことで、私はどんどんと自分の中へと入っていく。内なる自分の世界へと入り込んでいくとでも表現すればよいだろうか。自分なるものの深みへとはまっていく。私の中にある人外の部分。いや、そこに人と用いている段階で、それは人なるも…
「Don't Let Me Down」 の成長と私の中のセンチメンタル(JITTERIN'JINN / UNLIMITS)
朝から聴くには辛い音楽がある。いや、あった。10年ほど前までは宇多田ヒカルがそうだった。寝起きや通勤時に聴くには、自分にとってはあまりにもそのボーカルが持つ湿った暗さが辛かった。宇多田ヒカルのどこが暗いのかと問われると、逆になぜ暗さをそこか…
おそらくシベリウスは大音量で聴くのには向いていない。少なくとも今の私の耳にとっては。曇天模様、冷涼さを少しばかりはらみはじめた風を部屋に通して、穏やかな休日を過ごしている。昨晩開かれた、元上司の送別会での喧噪に頭が疲れ果て、そこからの回復…
クラシック音楽に傾倒すること10年ほどになる。演奏と自分の感情とを重ね合わせて、ただ自分の勝手な解釈で聴くこと、それもまた10年ほど。そこにある技巧であったり、演出であったり、解釈であったりと言ったものを、知見に基づいた観点で聴くことはほとん…
音楽を楽しんでいる時くらいは常にハッピーな気分でいたいよね。そのようなことを思うようになってきました。若い頃は音楽と共にダウナーになってみたり感傷的になってみたり、いたずらに自分を痛めつけていたりもしたのですが、このところはその道具として…
歳を取ると同時に新譜を聴く上での勇気が必要になってきた。自分の体調にインプレッションが引きずられはしないか、作品の内容に裏切られはしないか、抱いた印象は本当に確かなものなのか、などなど。自分の中に存在する外野のノイズが年々大きくなっていく…
結果としての憑き物落としの一環を行っての帰り道、ふと稲葉浩志を聴きたくなった。それほどまでに悟ったのだ、今日は。帰路に就く際には最新作『只者』を。そして帰宅後にこれを。稲葉浩志が己のために記した詞(ことば)と言霊はひどく内省的に思えて、今…
疲れ果てて帰る週末の地下鉄は10分遅れでやって来る模様。ホームにたたずむ自分の耳には稲葉浩志の声。相も変わらず弱い自分を、強くも儚い彼の詞(ことば)が叩きのめしていく。あるのは応援でも同情でもなく、ただそこにいる一人の男と、ここにいるただの…
なんとなく久しぶりに、相当久しぶりに聴いた。25年前の自分よりも、素直にここにある音楽たちと向き合えた気がする。音楽を音楽としてのみ捉えている、とでも言うか。音楽を前にして何かを作り出そうと躍起になっていた過去の自分がいるのは事実。このアル…
漠然とはしているけれども、音楽を利用して、自分の20代の頃の原点のようなものを考えていた。まだまだ全くの無邪気であった頃なのだろうけれども、その基本形は今でも大して変わってもいないのだろうと。無邪気で向こう見ずで先のことを深く考えない自分と…
『THE FIRST TAKE』で久しぶりに画面の中で歌っているアンジェラ・アキを見た。イヤホンで彼女の弾き語りと学生によるコーラスを聴き、目頭が熱くなると同時に思った。この曲が世に広まっていたあの頃、私は30代の半ば。今思えば人生の最も深くて長いトンネ…
22時頃から寝落ち。目を覚ましてはまた眠って、その繰り返しの最中にふとこれが聴きたくなったので、日付が変わる頃に完全に目を覚ましてから再生。気がついてみれば今日は40代最後の日。20代はジェットコースター、30代はトンネル、40代は何だったのだろう…
20代の若かりし頃にカウンセラーから告げられた、私は自分に堕ちていくのが好きなのだと言う断言は、今でも心の中に錨のように深く沈んで私を絡め取っている。それは恐らく言葉によるトラウマのようなものであり。冬なのだ。
自らの中にある何かしらの追憶とともにこのアルバムを。先に聴いたブッチャーズが、天王洲アイルにあったあの当時勤めていた旅行会社の自社ビルに閉じ込められていた頃の自分を鮮明に思い出させるのであれば、バインのこのアルバムは、大久保にあった外資系I…
particleofsound.hatenablog.comいつの間にかあれから10年が経っていたのか。そんなことには全く気がつくこともなく、イヤホンにて堪能。吉村秀樹の解像度の高いギターに、私のこの魂にこびりついた垢を擦り落として、いや、剥がし落してもらうべく。 bloodt…
友人が絶賛しているピアニストの最新アルバム。スクリャービンを聴く。光の外郭にある細やかな煌めきや反射。自分に見えたのは光の鱗。意識が自然と何にも抗うことなく吸い込まれていく。このピアノの音が持つ抱擁力にやさしく抱きとめられる、いや、受けと…
人は何をしようが、何をなそうが、人間であることを超えることも逸脱することも許されない。それは人としての枷なのだろうか、限界なのだろうか、人は諦めるための器に収め封じられているということの現れなのだろうか。近年の中島みゆきは、人として生きる…
だからこそ私は私の人生ももっと謳歌しなければならないのですよ。たとえもう中年期のど真ん中にいたとしても。そこに至ったことの悲しみを心に抱いていても仕方がない。幸いなことになのか、自分のこの歳にして亡くした友人は一人のみ。失われた命よりも産…
1988年。東京。おそらく街中が華やかな灯りと希望、夢、欲望にあふれていた時代。その中で自らを持て余しながら生き進んでいた青年は、今、あの時代を振り返りどのような思いにとらわれるのだろうか。あの頃に心の奥底で燃やしていた烈火は、もはや遠い熾火…
冬の最中。夜は落ちる。季節柄なのか、日照時間が少なくなることによる脳内物質の低下が引き起こすのか。昨年もこの時期から大きく落ちていた。あの時はバースデー・ブルーなどとうそぶいていたが、どうやらこの気分の落ち込み方は本物のようであり。気が滅…
過去にはこのような文章も。 2021年、私は47になった。鈴木慶一がこの作品を作り上げた40と言う歳をいつの間にか通り過ぎていた。SUZUKI白書 / 鈴木慶一 (1991 CD-DA) - 音波の薄皮鈴木慶一がこの作品、私小説作品集を書き上げた年齢からさらに10歳をストッ…
自分の青春期へと向かって気分やら記憶やらを遡っていくことは簡単だけれども、もうあの頃の勝手に背負っていたしがらみや足枷から心が解き放たれている存在がここにいるので、今は今、過去は過去で繋がらせながらも切り離して考えるのです。それほど楽天的…
この作品とも連れ添うようになってからもう結構久しいのですが、時間を重ねれば重ねるほどに、ここでのベースとギターがしんしんと穏やかで静かなる対話しているかのように、作品と私もまた対話をするその深度がより深いものになっていくような気がするので…
風の向くままに舵を取り、宜候と叫んでみたとしても、その行き先は未だ見果てぬ夢の地なのか。自らが声高に掲げた標榜は、自らに刃として突き刺さることもある。諸刃の剣を持ちながら、人生のどれだけの時間が暇つぶしなのだろうかと考えてみたところで答え…