心と音楽
『THE FIRST TAKE』で久しぶりに画面の中で歌っているアンジェラ・アキを見た。イヤホンで彼女の弾き語りと学生によるコーラスを聴き、目頭が熱くなると同時に思った。この曲が世に広まっていたあの頃、私は30代の半ば。今思えば人生の最も深くて長いトンネ…
22時頃から寝落ち。目を覚ましてはまた眠って、その繰り返しの最中にふとこれが聴きたくなったので、日付が変わる頃に完全に目を覚ましてから再生。気がついてみれば今日は40代最後の日。20代はジェットコースター、30代はトンネル、40代は何だったのだろう…
20代の若かりし頃にカウンセラーから告げられた、私は自分に堕ちていくのが好きなのだと言う断言は、今でも心の中に錨のように深く沈んで私を絡め取っている。それは恐らく言葉によるトラウマのようなものであり。冬なのだ。
自らの中にある何かしらの追憶とともにこのアルバムを。先に聴いたブッチャーズが、天王洲アイルにあったあの当時勤めていた旅行会社の自社ビルに閉じ込められていた頃の自分を鮮明に思い出させるのであれば、バインのこのアルバムは、大久保にあった外資系I…
particleofsound.hatenablog.comいつの間にかあれから10年が経っていたのか。そんなことには全く気がつくこともなく、イヤホンにて堪能。吉村秀樹の解像度の高いギターに、私のこの魂にこびりついた垢を擦り落として、いや、剥がし落してもらうべく。 bloodt…
友人が絶賛しているピアニストの最新アルバム。スクリャービンを聴く。光の外郭にある細やかな煌めきや反射。自分に見えたのは光の鱗。意識が自然と何にも抗うことなく吸い込まれていく。このピアノの音が持つ抱擁力にやさしく抱きとめられる、いや、受けと…
人は何をしようが、何をなそうが、人間であることを超えることも逸脱することも許されない。それは人としての枷なのだろうか、限界なのだろうか、人は諦めるための器に収め封じられているということの現れなのだろうか。近年の中島みゆきは、人として生きる…
だからこそ私は私の人生ももっと謳歌しなければならないのですよ。たとえもう中年期のど真ん中にいたとしても。そこに至ったことの悲しみを心に抱いていても仕方がない。幸いなことになのか、自分のこの歳にして亡くした友人は一人のみ。失われた命よりも産…
1988年。東京。おそらく街中が華やかな灯りと希望、夢、欲望にあふれていた時代。その中で自らを持て余しながら生き進んでいた青年は、今、あの時代を振り返りどのような思いにとらわれるのだろうか。あの頃に心の奥底で燃やしていた烈火は、もはや遠い熾火…
冬の最中。夜は落ちる。季節柄なのか、日照時間が少なくなることによる脳内物質の低下が引き起こすのか。昨年もこの時期から大きく落ちていた。あの時はバースデー・ブルーなどとうそぶいていたが、どうやらこの気分の落ち込み方は本物のようであり。気が滅…
過去にはこのような文章も。 2021年、私は47になった。鈴木慶一がこの作品を作り上げた40と言う歳をいつの間にか通り過ぎていた。SUZUKI白書 / 鈴木慶一 (1991 CD-DA) - 音波の薄皮鈴木慶一がこの作品、私小説作品集を書き上げた年齢からさらに10歳をストッ…
自分の青春期へと向かって気分やら記憶やらを遡っていくことは簡単だけれども、もうあの頃の勝手に背負っていたしがらみや足枷から心が解き放たれている存在がここにいるので、今は今、過去は過去で繋がらせながらも切り離して考えるのです。それほど楽天的…
この作品とも連れ添うようになってからもう結構久しいのですが、時間を重ねれば重ねるほどに、ここでのベースとギターがしんしんと穏やかで静かなる対話しているかのように、作品と私もまた対話をするその深度がより深いものになっていくような気がするので…
風の向くままに舵を取り、宜候と叫んでみたとしても、その行き先は未だ見果てぬ夢の地なのか。自らが声高に掲げた標榜は、自らに刃として突き刺さることもある。諸刃の剣を持ちながら、人生のどれだけの時間が暇つぶしなのだろうかと考えてみたところで答え…
バイオリズムが急速に低下しているのを全身で感じ取っている夜にこれを。こんな夜には、人の存在は大して役には立たない。
月食が終わり、穏やかなるも冷たい夜が残された日に。身体はまだそこにあれど、心は既にこの掌から去ってしまった方への思いを馳せながら聴く。今年もまた冬がやって来る。
この作品も自分にとっては「夏」なのだよね。どこか寂寞とした夏。河川敷でたたずんでいるかのような夏。
ダブポップでこの部屋という空間に溶けていく自分を妄想する。空気になってその辺へと満ちていけば、少しはこの夏と言うものを回避出来るだろうか。
このアルバムに「さよなら夏の日」が収録されていることを失念していた。曲が始まった瞬間に、何かが極まった。本当にこの夏にはさよならをしたい。もう夏に対しての絶望しかない。
窓の外の空模様と、カーテンレールにぶら下げられている洗濯物のせいで、気分が鬱々としてくる。WALKMANとイヤホンの組み合わせで自分だけの小宇宙へと入り込むことに決め込んでこの音源を。少しだけ気分も落とし気味に。
やるせない夜へのはなむけとして。いや、それともそんな夜へと向かうイントロダクションか。
はい、朝ですよ、朝。このアルバムとも長い付き合いだと思いながら聴く。20代で聴いていたeastern youthと40代も終わりに近づいている年齢で聴くeastern youthとは訳が違う。言葉の入り方とその深度が全く異なるのですよ。表層をなぞってはその気になってい…
これを聴きながら人生についてコンパクトに考えていた。清濁併せ呑んで後々に吐き出せば、それが結果としての人生なのだよと語りかけるがごとく、Mark Knopflerが歌う。結果としての人生などと達観出来るようになるには、まだまだ自分は自分の人生を生きては…
ピアノだけで紡がれるその音は、薄い月にも似て。脆いまでに完璧に造形された陶磁器を思い起こさせる。人の心もまた然り。心はその人物の中でのみ完結するならば完璧でもあろう。それを映す鏡が存在するからこそ揺れるのだ。
それは振り返ってみれば、の話に過ぎないが、SHAKKAZOMBIEは自分にとっての音楽のジャンクションだったのだなと。
シュミットの緩やかに流れ、目の前を通り過ぎていく作品に相対すると、自分の中にいる思考と言う名の得体の知れぬ化け物が、その音楽性と真逆に自らを蝕んでいくような感覚に陥ってしまう。
耳へと滑り込む音の奔流が、眠気と刺激のせめぎ合いへと繋がり、ため息をつくことのみが許される世界へと、肉体と意識が飛び込んで行く。
If the flip side of longing for death is longing for life, then I will continue to long for death. I will continue to long for it no matter how long it takes.Death Considerations, vol.5.
人生、かくも苦いものかと、この歳になって今と言う時間と自分とを対比させ、省みることがある。マーク・ノップラーのこの歌声とギターとが、その気持ちに拍車をかける。時間は容赦なく自分の傍らを通り過ぎ、社会情勢も刻一刻と変わっていく。自分も何も変…
夏の午睡ならば、白昼夢 走馬灯は確かな記憶か想像か風にからからと回る洗濯物 傾いた陽が部屋に木漏れ日を欺く眼鏡の裏から差し込む陽射し 弱々しく僕を透き通す真実を開く光 何も隠していない嘘それは好奇心 たまたまの若さ あの時の若さ室外機が立てる音 …