22時頃から寝落ち。目を覚ましてはまた眠って、その繰り返しの最中にふとこれが聴きたくなったので、日付が変わる頃に完全に目を覚ましてから再生。
気がついてみれば今日は40代最後の日。20代はジェットコースター、30代はトンネル、40代は何だったのだろうか。明日になるとやって来る50代、それが終わる頃になってからようやく、このディケイドを包括して眺めることが出来るのだろうか。
40代の終盤になってからあれこれと能動的に動いてきたものがある。人生ももう終わりが見えてくるような年齢で、そこまでやって来たら、まだ手をつけていないことが、これまたまだまだ沢山あると感じ始めたからなのだよな。ある意味においては自分に正直になってみようと考え始めたからなのかもしれない。
星野源はどこか人生を俯瞰しているところがあると思っている。達観ではなく、俯瞰。それが音楽に滲み出ている、それを感じているからこそ、自分のこの大きな節目のタイミングに聴きたくなったのかもしれない。
とことんどこまでもポップ。それでも「何でも飲み込む」ポップスに身を置いているからこそ、知っていること、知っていなければならないことのキャパが広いのだろうと。それ故の懐の広さ、とでも言えばよいか。
私という自分自身はどこまでそれを飲み込んでいるだろうか。