寝落ち明けの朝一に。
これを聴きながら「ハイレゾ」という存在についてつらつらと考えていたのだけれども、まぁ、何と言いますか、まだその存在をうまく消化しきれていないな、と。
以下、Twitterより抜粋の上加筆訂正。
ずっと思っていることではあるのだけれども、ハイレゾをハイレゾとして感じるようになるには、その音源のどこがハイレゾとして魅力的なのかと言ったポイントを見出す力が必要とされるのではないかと。逆に言えばそのポイントのないハイレゾ音源はハイレゾである必要もない、と。
メモリメディアに記録する音楽って、ワウフラッターとか静電気によるノイズとか、そう言った外的要因による音声への邪魔がないので、自分にとっては本当にこれぞ夢見た近未来の素晴らしいアイテムだと。だからハイレゾと言う因子はもしかしたら、その近未来における、あくまでもオマケのような物なのかもしれない。
音楽に対する渇望は恐らく高校〜大学時代が最も高く、「聴きたい音楽をCDの音質のままで全て持ち歩きたい」だったので、今はそれが満たされ、かつハイレゾという要素も出現してしまったがために、もしかしたらお腹いっぱいかつ消化不良な状態になっているのが今の自分なのかもしれない。
こうやって自分の垂れ流しツイートを俯瞰すると、やはり「ハイレゾ消化不良」という結論に至るのだな。