音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

ベートーヴェン:交響曲第5番 / アンドリス・ネルソンス, ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (2019 96/24)

早寝早起き、やや早起き過ぎの深夜クラシック。久しぶり。

オーディオの電源周りを改善したところ、ウィーン楽友協会の音作りが非常に見通しのよいものとして聴けるようになった。

それまではこのホール独特の音の回り込みが自分のシステムでは多めに出てしまい、ややするとオケそのものの音の明瞭さが失われる傾向にあったのです。

コストは大して掛けていない電源強化で、クラシックにおいてもここまで大きな改善が得られたのは本当に収穫。

楽友協会での録音物も楽しく聴けるようになりましたね。善きかな。

Complete Symphonies

ユーミン万歳! ~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~ / 松任谷由実 (2022 96/24)

買う予定は全くなかったのだが、Amazon Music Unlimitedで数曲試聴をしてみたところ、なかなか面白いミックスになっていたので購入。5時間近くかけて最初から最後まで聴き通した次第。

2022 Mixとなっている全収録曲は、全体的に引き算とシェイプアップで整えられていると言った印象。当初録音されていた音数を減らし、ソリッドに仕立て上げた感を受けた。

荒井由実~松任谷由実の50年の歴史を鑑みるに、今回のミックス&エディットは、現時点において必要な作業であったのだろうと。既に浸透し渡っている音源をそのままコンパイルしてリリースしたところで、既存のベスト盤との差異はそれほど多くは図られまい。かつ50年の節目であることから今回での作業、ある意味において大鉈を振るった作業は、ユーミンの楽曲に新しい印象を与えることに成功しているように思える。

特筆すべきはボーカルの明瞭さ。長いキャリアの中で、その時々の主流を作っていたユーミン楽曲では、ボーカル録音の押し引きにも特徴があった。

それを今回のアルバムの中において一つ大きな筋を通す意味もあってか、全編に渡ってボーカルが立つミックスが施されていることは、このベスト盤の存在意義を持たせる大きなインパクトを与えている。

また、ボーカルを立たせるミックスであるがゆえに、バックトラックの楽器構成に多少なりとも引き算の演出がされていることも、前述の時代の主流から今の流れへと引き寄せるための作業であったように思われる。

改めてユーミン楽曲はその旋律や歌を尊重することが根底にあり、ゆえにそれらを改めてプレゼンし直す意味も込めて今作が編纂されたのだと実感した次第。

それにしても50年と言うキャリアにおいて、ここに収録されなかった楽曲も含め、これほどまでに時代と世代を超え、世間へと広く行き渡る数多くの名曲を足跡のように残してきたことに対しユーミンと言う存在の大きさを思い知らされると同時に、それだからこそ音に新しい命を吹き込むことが必要だったのだろうと言った責任の重さのようなものまで感じさせられた。

本アルバムのタイトルこそ最初は仰々しいものに思えたのだが、実際に聴き終えてみると、いやはや万歳としか言いようがないその凄みにたじろいだのもまた事実なのだ。

ユーミン万歳! ~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~ (通常盤)(3枚組)(オリジナル特典:なし)

246コネクション (+7) / 荻野目洋子 (1987/2022 Hybrid SA-CD)

荻野目洋子SA-CD化作品、もう一丁。

音質に関する感想の全ては前アーティクルに譲ります。

1986年と1987年は、自分が小学生から中学生に上がる時期に重なっていて、それまでアイドル作品を好んでいた時分から、バンドサウンドへと好みが変わっていったのであります。

従ってこの作品は前作ほどには聴き込んでいなかったのですが、いやはや、なかなかどうして。こちらも相当によろしいではないですか。

ライナーを読むと、今作は収録曲のそのほとんどが筒美京平のペンによるもの。この当時にはそのようなことはつゆ知らず。今改めてそれを踏まえて聴いてみると、実に聴きごたえのある1枚。

前作がダンスオリエンテッドなポップに傾いているとすれば、今作はより楽曲重視の世界観で攻めたのだな、と。作詞が売野雅勇によるもので、アルバムの世界観を統一させていたことにも気がつかなかった。子ども心に「軽井沢」やら「246」やらがずいぶん雰囲気的に多いなと微妙に感じ取っていたくらいのもの。

過ぎ去ってしまえばそれで終わってしまうはずの作品群に、あれから35年も経過し、再び相まみえることによって見えてくるもの、情報が増えていることに気がつくのであります。

とてもいい機会になりましたよ。両ディスクともに、これは手放してはいけないものですね。しっかりとCDラックに組み込ませ、馴染ませます。

ノン・ストッパー (+10) / 荻野目洋子 (1986/2022 Hybrid SA-CD)

荻野目洋子のSA-CDなど笑止千万などと思っていた瞬間もありました。

買ってみた。聴いてみた。

1986年に聴いていた音と2022年に聴いた音とでは次元が異なる。アナログマスターからのDSDマスタリングとリマスタを施してのSA-CDを聴くと、当時のCD録音、記録の技術では追い切れなかった、追い込めなかった情報量が相当あったのだと気付かされた次第。

音のバランスは今風に整えられているけれども、それは褐色化した音源を今に生き返らせるために必要であった方策。それよりも何よりも、あの当時にとにかくひたすら聴いていた音源が、今も呼吸をしていることに感動する方が勝るわけでして。

ステレオサウンドのSA-CD化作品はこれまで何作か聴いてきたけれども、感動の度合いが最も高い作品となりました。それはもちろん、聴き手である自分の思い入れの度合いが高かったことに比例している事実は否定しませんが。

これはよい品だ…。笑止千万していたのは誰だ。

流しのOOJA 2 ~VINTAGE SONG COVERS~ / Ms.OOJA (2022 Spotify)

あそこまでひどいことを書いたのであれば、続編もしっかりと聴いておかないとならないのでは、と言う義務感からシリーズ最新作を。

結論からすると、歌に対して器用貧乏なのであろうなと。原曲が持つカラーを自分流に調理し、ニュアンスや色合いをつけることが出来るプロシンガーであることは理解出来る。

しかしながら、オリジナル楽曲の濃さや枠が足枷となってしまい、さらに一回り上を行く躍動感につながって行かない。カヴァーを行う以上、オリジナルの味を薄めてでも自分流に染め上げることが出来れば、独自の世界に持っていくことも出来るのだろうに。

そのようなことを考えながら聴いていたその境地にあると思われるのが「木枯しに抱かれて」。

オリジナル楽曲の中に歌う取っ掛かりとなるヒントが少ないと、ここまで解が引き出せないものなのかと愕然とまでしてしまった次第。原曲に究極の濃さが存在しなければならないのかと。

トータルで「何だろうな、この既視感は」と思い至ったのは、とある、やはりカヴァーで勝負に出ている有名女性シンガー。器用貧乏と言う点において同じ匂いがする。

ここまで書くくらいなら最初から聴かなければよいじゃないかと言う選択肢は私にはないのです。聴かないことには始まらない。その結果にどのような物が待ち受けていようとも。

音楽って楽しいなー。

流しのOOJA 2 ~VINTAGE SONG COVERS~ (通常盤)

流しのOOJA ~VINTAGE SONG COVERS~ / Ms.OOJA (2020 FLAC)

カヴァーソングでブイブイ言わせている方らしいことは結構前から知っていた。なんとなく、そう、なんとなく、足を踏み入れてはならないオーラを感じていたので、聴く機会を作らなかったのです。

聴いてみた。

…良いことを書ける自信がない。

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シンガーである以上、歌を歌うことは好きなのでしょうし、プロである以上、それよりも遙かに高水準な意識を保っているには違いないのです。

でもね。

中森明菜/加藤登紀子の「難破船」を果敢に(果敢に、だと思うのよ)カヴァーするその心意気は買った。でも、それは心意気だけで終わっているのだよね。

とにかく薄味。この曲をここまであっさりと歌い流されてしまうと、自分の耳を疑わざるを得ない。「今のでOKなの?あなたはそれでよいの?」とね。

そのようなモヤモヤを抱えたまま聴き進めていくと、ラストトラックの「シルエット・ロマンス」もあまりにも猪突猛進に駆け抜けて行ってしまわれた。最後の最後で困惑の極み。

アルバムを通して本当に色んなことを考えながら聴いてしまいましたよ。

「あの人のカヴァーの方が、もっと原曲に愛情が感じられた」

やら、

「歌の持つ色香がごっそり抜け落ちてはいないかい?」

やら。ネガティヴなことばかり。

自分流に換骨奪胎させてみたら、歌が持つ骨まで抜いてしまいました、とでも言えばよいでしょうか。

歌という「楽曲」に対する愛情が総じて薄味。歌いこなすと言うよりも、歌に歌わされている感が勝ってしまったのであります。この方自身がきっと持っているだろう歌心が見えてこない。

あーあ、言っちゃった。

大変勉強になりました。ごちそうさまでした。

流しのOOJA~VINTAGE SONG COVERS~(通常盤)