0.
10月も末だというのに半袖で過ごしたり、かと思えば羽織るものが必要だったり。そりゃ体調も崩れやすくなりますわ。
ここ一週間ほど風邪の症状が身を包み、昨日辺りからようやく喉の痛みだけになりました。トラネキサム酸の薬に切り替えております。これでも痛みが残るようなら、明日は病院行きだな。
1.
山下達郎『JOY2』もちろん購入しております。購入以降、聞いていない日はないかもしれないという状態。
JOY2それにしてもこのゴリゴリバキバキ感は、山下達郎ライヴを実際に体験してきたみからすると、よくもまぁ、ここまであの熱量をパッケージすることが出来たものだと感心することしきり。
高解像度なPAであのライヴを堪能してしまうと、オリジナルがやや物足りなくなることもあるくらいの達郎さんクオリディですからね。それを余すところなく収録している…いや、まだまだ物足りない内容。あの曲もこの曲もライヴ版を聴いてみたいのです。
と思いきや、ライナーに「JOY3に続くよ」といった旨の一文が書かれているではないですか。ウハウハですわ。
もう一度話を内容に戻すと、Disc1からDisc3までを一本の流れとして楽しむよりも、むしろ、それぞれが独立したライヴパッケージと見なして堪能すると、より一層楽しめると思った次第。
Disc1はライヴの定番曲や、やっぱりやってほしいよね、といった楽曲を詰め合わせた内容。
Disc2はビターな達郎作品を並べた、演奏、曲目共に、実にディープなテイスト漂う内容。
Disc3はDisc1をもう一歩突き進めた感もある、明るさ優先に感じられる内容。
ボーナス盤は「ありがとうございます」感あふれる内容。
で、各ディスクを堪能するつもりで再生し始めても、終わる頃には「次はどのディスクを聴こうかしら?」と無限ループに入り込んでしまう罠なのです。
こんなものをリリースしちゃったら、もう絶対にライヴのチケットは取れなくなりますね。これを聴いてライヴに興味を持つ新たなリスナーが、一体どれだけ増えると思って?
罪なお方だな、山下達郎さんは。
2.
先日「ユニバーサルミュージックのハイレゾ価格が強気すぎる!」と泣いた上白石萌音さんのアルバム。CDを借りました。こちらにもライヴディスクがついておりました。これがね、またね、いいの。とってもいいのですよ。
どれくらいよいのかって?
また萌音さんのライヴに足を運びたいな、と思わせるほど。元々安定した歌唱を堪能させてくれる方ではありましたが、表現力がいつの間にかまたネクストフェイズに上がってはいませんか?その歌に耳が引き込まれるのです。
生萌音さんは3年ほどお休みしておりましたが、次回のツアーには足を運んでみようかな。彼女のライヴは落ち着いて演奏と歌を楽しめるから好きなのですよね。
3.
アンドリス・ネルソンスのマーラー交響曲全集がリリースされましたね。
サブスクでは先行して第5番が提供されており、それを事前に聴いてはいたのですが、んー、正直なところ、自分が好きになれる、もっと正確に言えば、今の自分が好きになれるマーラーではないように思いました。
精緻な演奏なんでしょうね。スコアの細部にまで分け入って譜面を見つめ、それを演奏として全て描き現わそうとしているような、そんな意欲を感じました。で、それにも成功しているように感じられます。
が、いかんせん、緻密に過ぎて、自分が好むような演奏、一言で置き換えるならば推進力が大幅に削がれてしまっているように思えるのです。解剖学的な演奏とも言えるのかな。あくまでも極端な喩えですけど。
ディスクのリリースと同時にサブスクにて全曲が配信対象となっていたので、第7番も聴きましたが、やはり第5番と同じような印象。
ネルソンスの指揮者としての技量を批評するつもりはまったくありません。ゲヴァントハウス管を率いたブルックナーの演奏は素晴らしい内容だと今でも思っていますしね。
おそらくなのだけれども、これはあくまでも趣味の問題なのだろうと。クラシックに入り込めば入り込むほどに、この、趣味の問題なる言葉が重い意味を持ってのしかかってくるように思います。
誰かは絶賛するが、私には響かない。
クラシック音楽を聴く上は絶対に避けて通れない、インプレッションの個人差の壁。あなたと私の意見は交わりがたい。もし交わるようなことがあれば、あなたと私の耳の相性は相当によい。といった次元での話。
だもんで、最も健全にクラシックを楽しむ方法は、自分の道を突き進むことなんだなー、と思うのです。自分の耳を信じて楽しむ。これが大事。そしてそれを人に押しつけない。これも大事。
平和に行こう。
(何の話だったっけ?)
4.
んで、そのマーラーなんですが、今さらテンシュテットの第5番のSACDを買ってしまいました。バジェット盤での全集は持っていたのですが、今となっては音の抜けに問題が感じられて、集中してその演奏に没入し切れていなかったのです。
あ、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の1988年ライヴ盤です。
リマスタされた音で改めてこのテンシュテットを聴いたのですが、いや、そのなんだ、人の耳って面白いものだな、と。
かつて、このテンシュテットのマーラーに対しては「暗い辛い重い」といった印象で固定されていたのですよ。「痛い」といってもよいほど。
あれから多分10年は経っているのかもしれませんが、今、様々なマーラーに触れてからここに戻ってきてみると、「これは自分にとってのマーラーの礎、その一つの形」だと思えるようになっていたのです。
ぶっちゃけた話、暗くもなければ辛くもない、重くもなければ痛くもなく。マーラーがマーラーとしてあるマーラー。そういう演奏だと思ったのですよね。「あ、マーラーだ!」とシンプルにストンと自分の心の中の井戸に釣瓶が落ちていくように。
くらころを書いていると実感することしきりなのですが、「かつて出会っていたクラシック音楽との再会」が、非常に大きな意味や実をもって自分の前に現れることが多くて。このテンシュテットのマーラー5番でもそれを実感させられましたね。
俺はテンシュテットをなんだと思っていたんだろうか?
テンシュテットさん、申し訳なかった5.
タワーレコードのSACDリマスタ企画、デジタル録音盤のそれ。
個人的には非常に好ましく映っています。手元にはベルグルンドのシベリウス交響曲全集、グルダのモーツァルト、そして前述のテンシュテットのマーラー5番とありますが、どれもデジタル録音音源にありがちな音の細さや、ダイナミックレンジの狭さ、分解の甘さが大幅に改善、向上しています。
デジタル録音をリマスタしてDSDにしたところで、大した意味などないよ、と思い込んでいた節は自分にもありますが、実際自分の耳で体験してみると、これは技術の進歩による「KAIZEN」のだなと実感できるわけであります。
なによりも「音楽を楽しめる音」になっていることが、なにより素晴らしいことではないかと。
6.
まぁ、とりあえず、そんなこんなで。