音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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このところちょっと(20261105)

0.
月初三連休最終日。日中はほぼほぼ寝てた。音楽を選び、流し、椅子の上で寝てた。

1.
そんな日。ビシュコフ/チェコ・フィルのマーラー5番を聴いていた。3回ほど寝て、3回ほど起きた。最後に寝たのは最終楽章の残り5分くらいの所だった。次に目を覚ましたら、6番の第1楽章にワープしていた。その後、ずっとそのままマーラーを再生している。今、7番の第1楽章。

2.
で、そのビシュコフ/チェコ・フィルのマーラーなんだけど、結構、いや、かなりいいと思います。少なくとも私は好きです。

何がどう好きかと問われても困るのだけれども、小骨が引っ掛かる感覚が全くなく、聴き進めていくうちにやってくるチェックポイントのような所で、そこにある期待値をわりと簡単にクリアしてくるあたりとか、とても聴きやすくてよいと思います。

3.
ブロムシュテット氏が逝去しました。99歳。さすがに驚きはしなかったけれども。ふと、過去に聴いた際にこのブログに記録していた内容を読み返したら、わりとよかったので、そのままくらころに転載して哀悼の意を表しました。

好きな指揮者だったんだな…。センチメンタルにはなりますよ、もちろん。

4.
ここまで書いたものが、実につまらない内容に思えたので、そのまま消してしまおうかと思ったのだけれども、そもそもが、面白いことを書くコンテンツでもなんでもないので、その消す理由がさっぱり分からなくなってしまった。

5.
あれかな。2日連続で一歩も外に出てないから、少し気が滅入っているかしら?多分そうだと思われる。

6.
SACD30nでQobuzを再生させようとしたところ、HEOSアプリから「Qobuzのコンテンツが見つからないよ!」などと警告される。なんだかグダグダなままに、ネットワークから30nが消えてしまった系の現象。

電源コードを抜き、ルータを再起動させ、スイッチ系も再起動。再度電源を入れてみても、やはりQobuzのコンテンツが見つからないなどとぬかしおる。

Wiim Amp UltraからはQobuzは見える。なんだこれ。

あれよあれよと言う間に、今度は30nからNAS内ファイルの再生も出来なくなる。

なんかアレですね。方違えなのかも。大殺界?それってなんだっけ。あ、磁場がおかしいのかな?それは絶対にないけどね。

ちょっとまた後でトライします。

7.
なに、この見事なまでのやる気のなさは。

8.
FIIO M25 R2Rが欲しいけど、まさかの22万円。SONYのWALKMAN最新機種のエントリーモデルが買える!ZX909だね。

じゃ、SONYを買えばいいじゃない、って?

それでは男のロマンにならないのですよ。

ああ、違う。価格の高さにもまいったけど、筐体が大きいのよ。物理的に可搬性に欠けるからNGなんだ。加えて、足が早いDAPに22万もぶち込もうとする段階で、もう人間としてかなりなところまで足を突っ込んでいる、イッちゃってると思ったら、少しさすがに萎えたんだよね。

9.
うん、まぁ、やっと元気になってきた。もう19時になろうとしているけどね。

そんなこんなで。

今日は手持ちのPop/Rock/Jazz系のSACDを飽きるまで聴いていくよ

タイトル通りの企画です。企画ってほどでもないけど。

せっかくの月初三連休だというのに、本日、二日目の昼間から明日の昼にかけて、冷たい雨が降るというのだもの。室内に閉じこもって自分だけが楽しくなっちゃう企画をするよ。

クラシック音楽のSACDに関しては、もうあれこれ書き留めているので、たまにはそれ以外の「そもそもSACDにする意味あるのかい?」と問われそうなジャンルのディスクを聴いていきますよ。

ランダムに再生する。順次更新する。更新に飽きたら止める。止める時には「本日はこれにて終了」と宣言する。宣言するまでは「こいつ、今も何か聴いているんだな」と思ってくだされ。

「中古市場で見かける度」は、ここしばらくウォッチしていた私の主観にて、Web市場で見かける度合いを記していきます。

ちなみに、今はこんなシステム構成でSACDを鑑賞してます。

現オーディオ構成

SACDプレーヤー:marantz SACD 30n
アンプ:Wiim Amp Ultra
スピーカー:Focal Area 926

OFF THE WALL / Michael Jackson(1979/2024 Mobile Fidelity)

先のアーティクルで『BAD』のデジタル録音について書いたけど、このアルバムの完全アナログの世界ももちろんよいのだよな。パキッとした分離を望むのではなく、丁寧な質感とでも言うべき音の作り込みの世界を満喫できるSACDだと思っております。

このSACD盤がリリースされた時には「やたらハイ上がりのマスタリングだな」と思ったりもしたのですが、今のシステムで、しっかりと腰を据えて聴ける環境になると、なぜそんな印象を持ったのかがさっぱり分からない、ベルベットライクなMichael Jackson流ポップスの演出の記録を、しっかりと今の時代に伝えるSACDになっていると感じます。

Michael JacksonのMobile Fidelity盤SACDは、SACDというメディアが好きで、かつ上質なポップスを満喫したいなどというニッチなマニアには必携ですよね。改めてそう実感させられます。

アルバムの内容?私なんかが語るなんて恐れ多い。

中古市場で見かける度:そこそこ見かけたけど映画公開以降はやや少ないかも

OFF THE WALL / Michael Jackson

gaining through losing / 平井堅(2001 DFGZ-9002 DefSTAR)

2001年リリース。人気絶頂期にリリースされた平井堅のシングルレイヤーSACD盤。この音源は20bitのデジタルレコーディングだったと、どこかで読んだ記憶があるのだけれども、真実なら然もありなん。ガセネタでもSACDで鑑賞する価値のある1枚。

この時期、日本で大流行したR&B系サウンドに多く見られる、ボトムからハイまでまんべんなく楽器が散りばめられた配置の出音が楽しめる。かといってギチギチな録音なのではなく、楽器の数が基本的に少な目なので、音の一つ一つの配置が明瞭に再生される好盤だと思っています。

低音の圧や、高域の金物系、重ねられるシンセ、そして何よりも平井堅のボーカルの艶やかさが魅力的な録音ではありましたが、それがSACDとしてDSDマスタリングされることで、より「濡れた」サウンドとして耳に実用的な作品として仕上がっていると思うのですよね。

このSACD盤を再生させるのには、なかなか手こずるんじゃないかな。J-POPにしては再生難易度の高いSACDではないかと。もちろん音楽的な楽しさにもあふれている1枚だと思っています。平井堅の作品は基本的にJ-POPにおける良心ですよね。

中古市場で見かける度:わりと珍しい

gaining through losing / 平井堅

MOONDANCE / Van Morrison(1970/2025 Analogue Productions)

今やいい具合に味を出して枯れているヴァンおじさんの1970年作品。この時代のポップスからジャズ、ソウルの流れを汲んで、コンパクトな一枚の作品に昇華させているグッドボーカルアルバム。いや、グッドどころじゃないっすね、エクセレント。

でも、この時ヴァンおじさん、一体何歳なんだろうと思わせるほどの、早期老成加減あふれる作品でもあるかと。

とにかくむせかえるようなアナログの薫り。アナログ臭が飽和してます。その飽和状態をしっかりとSACDというフォーマットにパッケージさせていると、とにかく感心することしきりですよ。

この時代のポップスには、SACD化されている作品が多く存在しているという印象を抱いています。それはおそらく、レコーディング技術がある程度高まってきた頃のアナログ録音のクオリティをパッケージするにあたって、SACDというDSDマスタリングを伴うメディアとの相性のよさが現れているのではないかと。これがPCMのハイレゾになると、どうしてもデジタルっぽさが音楽の表現に上乗せされてしまうことがあって。

うへぇ。このアルバムがリリースされた当時、Van Morrisonは24歳だったそうですよ。軽くまいっちゃうね。

中古市場で見かける度:まだ新品が存在する

MOONDANCE / Van Morrison

A LONG VACATION / 大滝詠一(1981/2021 SRGL1000 NIAGARA)

J-POP史上において、これをSACDにしなきゃ何をSACDにするんだ?とまで思わせてしまうような問答無用の一枚、だよね?

大滝詠一の偏執的なまでのアレンジの細やかさ、録音そのものまでに責任を持つプロダクション。そして40年以上の時を経ても、常に新鮮さを与えてくれるポップスとしての耐用年数の長さと音の明るさ。ポップスがポップスとしてあることを誇りに思うべき作品ではありはしないかと。もしくは襟を正す作品であるとも。

で、ここまでの流れでこのアルバムを再生し始めたのには理由があります。先のVan Morrisonにて「デジタルっぽさ」と書いてしまったからです。

私の旧来の友人に大の大滝詠一マニアがいまして、彼がこの40周年盤CDエディションを我が家に持ち込んで聴いた際に「なんかデジタルっぽいと言うのかな?そんな感じがする」とコメントしたことがあったのです。

それは30周年盤と比較しての発言だったのですが、オーディオに造詣があるわけでは決してないその友人から、そのようなコメントが出るあたりで、これは相当な大事件ではないかと思ったんですよね。

デジタルリマスタによって、作品、技術において一級品であるアナログ録音のそれにデジタル臭さが乗ってしまうと言うのであれば、それは一体誰のためになるマスタリングなのだろうか?と。

果たしてその彼が、現状の自システムでこのSACD盤を聴いたら、どのようなインプレッションを述べてくれるのだろうかと、実に興味があるのですよね。やはりデジタル臭いと思うのか、これならば気にならないと言うのだろうか、それとももっと高く評価してくれるのか。

普段ならば自分の耳だけを信じて何かを書きがちな私ではありますが、大滝詠一のこの作品に関しては、どうしてもここが小骨として喉に引っ掛かってしまうのです。

中古市場で見かける度:比較的よく見かける

A LONG VACATION / 大滝詠一

THE DARK SIDE OF THE MOON / PINK FLOYD(1973/2003 EMI)

SACD化されているロックミュージックの中では、SACDファンによる所有率がやたらと高そうな気がしている、SACD的超有名盤。いや、プログロック作品としてもあまりにも有名すぎる作品ではありますね。

その昔、この2003年版のSACDを購入して聴いていた当時は、ここに込められている実力を発揮させられずにいたのです。音の定位的ギミックは分かるような気はしつつも、世間が騒然とするほどのものでもないな、とそう思い込んでいたのです。

ところが現システムに変わり、SACDのサウンドをある意味スッキリと聴けるようになった今、この盤面に凝縮され、ミッシリと詰め込まれたサウンド、ギミック、アレンジの数々が目の前に次々と現れて、そりゃもう、一大音楽絵巻のように目の前に広がっていくのです。最初から最後までとにかく気が抜けない。音楽としてもヘヴィ、サウンドスケープとしてもヘヴィ。

この盤を聴いてもSACDが引き出せる音の凄みに何も感じられないのならば、それはオーディオ的適性検査に引っ掛からなかったのだなぁ、と思うより他にないですかね。

私はどんな時に自らのオーディオ的適性を実感するかって、このアルバムを聴いて気持ち悪くなる時ですよ。音は回るし、音楽はイカしてるし、世界観はイカれてるし、音像はあまりにも細かくプロットされまくってるし、耳に対して救いようがないじゃないですか、休む間もなくて。音楽を聴くための三半規管だっておかしくなるって話で。そりゃ気持ち悪くもなりますよ。

でも、やっぱり聴いていてクセになる作品ではあるのですよね。

中古市場で見かける度:見かけないことがない

THE DARK SIDE OF THE MOON / PINK FLOYD

CAROL -A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991- / TM NETWORK(1988/2024 Stereo Sound)

TM NETWORKが80年代に構築した世間評は結構不遇なものだと思っている。今の人たちがどのように捉えているかは分からないけどね。

デジタルの権化のように思われているんじゃないかな…と思い続けて幾星霜。その印象は間違いだとは思わないけれども、音楽を取りまく潮流やテクノロジーに対して異様までに敏感だった小室哲哉という人物を擁したユニットだった、と今ならそう説明できる気がするんだけど。

そんなTM NETWORKの本作は、デビュー以来とにかくデジタルに突っ走ってきたユニットが、生音やアナログに目を向けて作成したアルバムなのだよね。もちろんシンセ的デジタルサウンドは存在するのだけれども、それすらもアナログのフォーマットに一回パッケージして、結果としてハイブリッドで独特な質感を引き出している。

事実、1988年当時はヴァイナルでもリリースされているしね(しかも曲順がCDとは異なった)。

そのサウンドを、改めてトラックダウンマスターからDSDリマスタしたのがこのSACDなのだけれども、今その状態で聴いてみると、実は相当な量の空気を含んだ録音になっているのだと、今さらになって気付かされたのだよね。

それはもちろんスタジオの空気感でもあるのだろうけれども、楽器と楽器の間に球体状に横たわる空気感、目に見えないが確実に音として存在するレンジ、音を発するもの全てが有している倍音のような空気が、ここまでたっぷりとパッケージされていたのかと驚かされるのです。

私は録音技術には明るくないけれども、楽器のブレスの間隙といった無のようなものを録音するのって、実は相当にとんでもないことなんじゃないかとは思うのだよね。この盤面に存在していた、明らかにされたのはそう言うことなのです。

もちろん小室哲哉と木根尚人による、このユニットに最も脂がのっていた時期のコンポジションにも注目したいし、それがあってこそ腕を見せまくっている演奏陣の、その素晴らしい仕事技もまた見ものだと思うのだよね。

中古市場で見かける度:まだステレオサウンドから新品の購入が可能

CAROL -A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991- / TM NETWORK

Night buzz / 高田みち子(2004 SICP10012 SONY)

このディスクこそが、自分にとっての無人島SACDじゃないかと。もしくは棺桶に入れて一緒に焼いて欲しい一枚。この作品をSACDで聴けなくなったら、私、どうなってしまうのかしら。

不思議な表現ではあるけれども、自分にとって何かしらが完璧な作品なのです。何がと問われても言葉に困るのだけれども。

SACDの音質的観点から観ていくと、声と楽器のフワッとした押し出しがリッチであることからしてまずヤバい。ボーカルの程よいリアルさ。それはオーディオファイルが求めがちな過剰なまでの生々しさとは異なり、奥ゆかしさを含んだ近さといえるかな。

楽器に関しては空気から現れ、そして空気へと溶けていく感覚が、心地よさの極み。

そう考えてみると、大袈裟であったり大雑把であったりといった世界から、まったくもって無縁な音楽がここにあるようにも思えてきた。

音楽的観点からすると、ジャズボーカルといえばジャズボーカルなのだけれども、必ずしもそのカテゴライズが正しいとは思ってはいません。ポップスのニュアンスを多分に含ませた、ジャズのようなもの、なのだと捉えますね。

間違いなくいえるのは、アルバムタイトルの通り、これは夜に流すべき音楽であるということ。あまねく個々の音楽には、各々が持つ時間との親和性を有した浸透圧が間違いなくあって、一番溶け込みやすい時間があると考えています。その点で、本作は夜以外には配置できないのですよ。

で、夜だから再生ボリュームを絞りますね?それでもなお、このSACDが持っている、SACDならではの質感は失われないのです。その点においてとても貴重な作品だと思えるのです。

中古市場で見かける度:相当珍しくなってしまった

Night buzz / 高田みち子

Tapestry / Carole King(1971/2013 Mobile Fidelity)

ポップスとしてのレジェンドであったりレガシーであったり、そのような、もう誰もが認める殿堂入りアルバム。何を今さらここで、と少し思ったのだけれども、この作品はSACDでなかったら、それほど再生回数を稼ぐことはなかったかもしれないと思ってピックアップ。今また聴いてみることにした。

当然のように後追いで聴き始めた作品なのだけれども、自分が聴くようになってからのCDの音源は、既に、そこで使われているマスターがよれてしまっていたのです。明らかなるテープの劣化。だもので、集中して音楽に入れ込めなかったのですよね。自分にとっても名盤たり得るということは分かっていたのですが。

そんなこんなで、MoFiが手がけた音源であるならばと一縷の望みを託して入手してみれば、もうこれが問題はないわ間違いはないわ。ようやく真っ当に、真面目な音源で楽しめるようになったのです。

それにしても、この緊張と解放とが正しく入り混じった作風は、どのように形容しながら改めて評すればよいのか。間違いないのは、どの曲においても、その曲に似合った風が吹いていること。

フォーキーな作風の楽曲もありますが、全体としてはとても都市型の音楽だと思ってます。だからこそ、そこに風が吹いていることは非常に重要であって。それが、この作品が持つ抜け感や風通しのよさといったものに繋がっているのは間違いないことですから。

2本足でしっかりと立っている作品、といった表現を好むことが多い私でありますが、本作はまさにそれで。背筋の伸びた女性がすっくと2本足で立っているな、と。その姿を支える楽曲そのものや演奏のクオリティが素晴らしすぎて、胸の中に熱いものがこみ上げてくることだってあるほど。

そういったものや世界を表現するにおいて、SACDというメディアからの出音にはストレスがないのですよ。誇張だって味付けだって必要最低限にとどめることができる。なくても問題ないくらい。それでいながら、表現力には十分なポテンシャルを持っているメディア。

だからこそ自分はSACDが好きなんだろうな。

中古市場で見かける度:たまに出てきますね

Tapestry / Carole King

CRIMSON / 中森明菜(1986/2012 WPCL11145 WARNER)

1986年時点での中森明菜の傑作オリジナルアルバムの一角に数えられていた作品。まさかまさかのシティ・ポップブームでの流れで、近年その界隈において再評価された、ある意味帰ってきた名盤。

帰ってきても来なくても、これは自分にとっての永遠の名盤。中森明菜の魅力に陰と陽があるのならば、こちらは陰サイドの風を持ったアルバムではないかと。中森明菜の看板であるロングトーンやビブラート、サビ絶唱系の曲は一つもなく。ただひらすらに都会の女性を歌った、一途な思いを持ったアルバムとでも言えばいいかな。

その一途なアルバムをSACDで聴く理由は、飽和した空気感を持ったアレンジが作品全体に横たわっているからなのです。中森明菜のボーカルが持つエア感とリバーヴ感。同様にトラックが持っている残響感が、このアルバムのカラーを決定づけているかのよう。ソフトフォーカス気味の音作りともいえるでしょうか。

ミスティでミステリーな雰囲気が、リラックスしたムードと相まって、この時代のアイドルの中では間違いなくこの人でしか作れなかった世界観を構築しているかのようで。無理です、後にも先にも、他のアイドルでこの世界を作り上げることは。先には、は言いすぎだとしても…後にはいない。うん、いない。いないったらいない。

一歩間違うと退屈なアルバムなのですよ。全体的にミドルテンポの曲しか収録されておらず、この1986年に中森明菜がヒットさせたシングル曲は、あの歌謡ロックの雄ともいえる「DESIRE」なのだから余計にそのギャップは激しく。

その落差を楽しむ上でも、このSACDというフォーマットはふさわしいと思うのです。アップテンポの楽曲が含まれたアルバムもSACDで所有していますが、パンチを取るなら正直なところPCMハイレゾの方が勝るポイントも多く。

適材適所を求めていくと、本作はこのSACDに軍配が上がるかな。

中古市場で見かける度:収録されているボックスセットは常に出回っているが、単体ではまず滅多に出てこない

CRIMSON / 中森明菜
Conclusion

いやー、聴いた聴いた。でも在庫に対しての話をするならば、全然聴けてない。

こうやって書いてみると、自分がSACDに求めている軸のようなものは案外大して存在しておらず、それぞれのアルバムからSACDというフィルタを通して何を見ているか、という観点に立っているような気がします。

ここが私がオーディオマニアになりきれなかったゆえんですな。オーディオももちろんあって欲しいものだけれども、それ以前にまずは音楽を欲しているのだね。で、それを楽しむためのフォーマット、そのバリエーションが広ければ広いほど、気分もアガるってもので。

でも、そうこう言いながら、この雨天の暇つぶし企画は徐々に「SACD沼にちょっと興味が出てきた方への誘惑の手招きめいている私が勝手に選ぶディスクたち」のような雰囲気になりましたね。でも「名盤ガイド」では決してない。私が好きなSACDアルバムを時間の許す限り片っ端から聴き直し、そのインプレッションを気ままに書き留めただけ。

楽しかった。しばらくぶりにクラシック音楽から離れて、こっち系にずっぽりとハマって聴いて書いた。

本日はこれにて終了!

BAD / Michael Jackson (1987/2026 SACD - Mobile Fidelity)

Mobile Fidelity盤、Michael Jackson『BAD』のSACD、先日届きました。早速聴いております。

今日は休みということもあり、朝から本腰を入れてボリュームを上げ気味にしてガッツリと聴かせていただきました。

1987年リリースの本アルバム。デジタルレコーディング黎明期の作品であると今さらながらに思い至った次第であります。Michael Jacksonの他のMobile FidelityリリースのSACD(『DANGEROUS』を除く)を比較して、明らかに音の一つ一つがデジタル。

でも当時の16bitやその後の20bitデジタル録音が、SACDに向いていない理由などこれっぽっちもなく。全てはオリジナルの録音品質に左右されますからね。Michael Jacksonの公式録音物に録音品質がハズレな音源など存在せず、その段階でMobile FidelityがMichael JacksonのアルバムSACD化に着手するのも当然の帰結なのだろうと思うのですよ。

外野的な細かいことはともかくも、驚くべきはその出音。音の一つ一つに無駄など全く存在しないMichael Jacksonプロダクションの、その無駄の無さがよりソリッドになって耳に伝わってくる。全ての音がイコールコンディションで主張してくるとでも言いましょうか。もちろんそれがやかましさに繋がることなどはなく。全ての音に意味があると分かるんですよ。

この楽器の音色はなぜこの音なのか。なぜこの楽器はこのように刻むのか。なぜこのコーラスはこのように重なるのか。なぜMichaelのボーカルはこのように定位するのか。意味のないことなど一つもなかったのだと証明するかのような、今回のSACD化。

1987年のリリースから40年が経過しようとする今になって、後追いでMichaelを聴いてきた自分にとって、その全ての存在感…存在が音の立体像として目の前に現れるのです。これはすごい。

先に述べたデジタル音源であることの恩恵もここにはあると思っています。音の張り出しがビニールチック、プラスティッキーで、瞬発力的な圧にあふれているのですよね。瞬間が連続して現れている、とでも言いますか。

だからこそのMichael本人と、Michaelを構成する音楽の全てにおいて、そのリズムに深く特化したビート感がダイレクトに伝わってくるのです。本当にこのSACDは、その作りにおいて余計なことをしていないのだろうな、と。

改めて、Michael、格好よすぎます。今回のSACDでもまた惚れ直しました。

これにて手元にあるMobile Fidelity製のMichael Jackson作品SACDはトータル4枚。まだリリースされていない作品もありますね。こうなったらMichael Jacksonワークスの凄みを伝えるSACDとして、今後もリリースを進めていって欲しいと思う次第なのであります。

BAD

このところちょっと(20261027)

0.
10月も末だというのに半袖で過ごしたり、かと思えば羽織るものが必要だったり。そりゃ体調も崩れやすくなりますわ。

ここ一週間ほど風邪の症状が身を包み、昨日辺りからようやく喉の痛みだけになりました。トラネキサム酸の薬に切り替えております。これでも痛みが残るようなら、明日は病院行きだな。

1.
山下達郎『JOY2』もちろん購入しております。購入以降、聞いていない日はないかもしれないという状態。

JOY2

それにしてもこのゴリゴリバキバキ感は、山下達郎ライヴを実際に体験してきたみからすると、よくもまぁ、ここまであの熱量をパッケージすることが出来たものだと感心することしきり。

高解像度なPAであのライヴを堪能してしまうと、オリジナルがやや物足りなくなることもあるくらいの達郎さんクオリディですからね。それを余すところなく収録している…いや、まだまだ物足りない内容。あの曲もこの曲もライヴ版を聴いてみたいのです。

と思いきや、ライナーに「JOY3に続くよ」といった旨の一文が書かれているではないですか。ウハウハですわ。

もう一度話を内容に戻すと、Disc1からDisc3までを一本の流れとして楽しむよりも、むしろ、それぞれが独立したライヴパッケージと見なして堪能すると、より一層楽しめると思った次第。

Disc1はライヴの定番曲や、やっぱりやってほしいよね、といった楽曲を詰め合わせた内容。

Disc2はビターな達郎作品を並べた、演奏、曲目共に、実にディープなテイスト漂う内容。

Disc3はDisc1をもう一歩突き進めた感もある、明るさ優先に感じられる内容。

ボーナス盤は「ありがとうございます」感あふれる内容。

で、各ディスクを堪能するつもりで再生し始めても、終わる頃には「次はどのディスクを聴こうかしら?」と無限ループに入り込んでしまう罠なのです。

こんなものをリリースしちゃったら、もう絶対にライヴのチケットは取れなくなりますね。これを聴いてライヴに興味を持つ新たなリスナーが、一体どれだけ増えると思って?

罪なお方だな、山下達郎さんは。

2.
先日「ユニバーサルミュージックのハイレゾ価格が強気すぎる!」と泣いた上白石萌音さんのアルバム。CDを借りました。こちらにもライヴディスクがついておりました。これがね、またね、いいの。とってもいいのですよ。

どれくらいよいのかって?

また萌音さんのライヴに足を運びたいな、と思わせるほど。元々安定した歌唱を堪能させてくれる方ではありましたが、表現力がいつの間にかまたネクストフェイズに上がってはいませんか?その歌に耳が引き込まれるのです。

生萌音さんは3年ほどお休みしておりましたが、次回のツアーには足を運んでみようかな。彼女のライヴは落ち着いて演奏と歌を楽しめるから好きなのですよね。

3.
アンドリス・ネルソンスのマーラー交響曲全集がリリースされましたね。

サブスクでは先行して第5番が提供されており、それを事前に聴いてはいたのですが、んー、正直なところ、自分が好きになれる、もっと正確に言えば、今の自分が好きになれるマーラーではないように思いました。

精緻な演奏なんでしょうね。スコアの細部にまで分け入って譜面を見つめ、それを演奏として全て描き現わそうとしているような、そんな意欲を感じました。で、それにも成功しているように感じられます。

が、いかんせん、緻密に過ぎて、自分が好むような演奏、一言で置き換えるならば推進力が大幅に削がれてしまっているように思えるのです。解剖学的な演奏とも言えるのかな。あくまでも極端な喩えですけど。

ディスクのリリースと同時にサブスクにて全曲が配信対象となっていたので、第7番も聴きましたが、やはり第5番と同じような印象。

ネルソンスの指揮者としての技量を批評するつもりはまったくありません。ゲヴァントハウス管を率いたブルックナーの演奏は素晴らしい内容だと今でも思っていますしね。

おそらくなのだけれども、これはあくまでも趣味の問題なのだろうと。クラシックに入り込めば入り込むほどに、この、趣味の問題なる言葉が重い意味を持ってのしかかってくるように思います。

誰かは絶賛するが、私には響かない。

クラシック音楽を聴く上は絶対に避けて通れない、インプレッションの個人差の壁。あなたと私の意見は交わりがたい。もし交わるようなことがあれば、あなたと私の耳の相性は相当によい。といった次元での話。

だもんで、最も健全にクラシックを楽しむ方法は、自分の道を突き進むことなんだなー、と思うのです。自分の耳を信じて楽しむ。これが大事。そしてそれを人に押しつけない。これも大事。

平和に行こう。

(何の話だったっけ?)

4.
んで、そのマーラーなんですが、今さらテンシュテットの第5番のSACDを買ってしまいました。バジェット盤での全集は持っていたのですが、今となっては音の抜けに問題が感じられて、集中してその演奏に没入し切れていなかったのです。

あ、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の1988年ライヴ盤です。

リマスタされた音で改めてこのテンシュテットを聴いたのですが、いや、そのなんだ、人の耳って面白いものだな、と。

かつて、このテンシュテットのマーラーに対しては「暗い辛い重い」といった印象で固定されていたのですよ。「痛い」といってもよいほど。

あれから多分10年は経っているのかもしれませんが、今、様々なマーラーに触れてからここに戻ってきてみると、「これは自分にとってのマーラーの礎、その一つの形」だと思えるようになっていたのです。

ぶっちゃけた話、暗くもなければ辛くもない、重くもなければ痛くもなく。マーラーがマーラーとしてあるマーラー。そういう演奏だと思ったのですよね。「あ、マーラーだ!」とシンプルにストンと自分の心の中の井戸に釣瓶が落ちていくように。

くらころを書いていると実感することしきりなのですが、「かつて出会っていたクラシック音楽との再会」が、非常に大きな意味や実をもって自分の前に現れることが多くて。このテンシュテットのマーラー5番でもそれを実感させられましたね。

俺はテンシュテットをなんだと思っていたんだろうか?

テンシュテットさん、申し訳なかった

5.
タワーレコードのSACDリマスタ企画、デジタル録音盤のそれ。

個人的には非常に好ましく映っています。手元にはベルグルンドのシベリウス交響曲全集、グルダのモーツァルト、そして前述のテンシュテットのマーラー5番とありますが、どれもデジタル録音音源にありがちな音の細さや、ダイナミックレンジの狭さ、分解の甘さが大幅に改善、向上しています。

デジタル録音をリマスタしてDSDにしたところで、大した意味などないよ、と思い込んでいた節は自分にもありますが、実際自分の耳で体験してみると、これは技術の進歩による「KAIZEN」のだなと実感できるわけであります。

なによりも「音楽を楽しめる音」になっていることが、なにより素晴らしいことではないかと。

6.
まぁ、とりあえず、そんなこんなで。

このところちょっと(20261021)

1.
光GENJIの1stアルバムを聴きながら洗濯物を干していた朝。

最近「音楽好き」を自称する方と初めてお話をする機会が数回あったのです。相手の方は自分がいかに音楽を好きかを語ってくれますが、私だってそれなりに音楽は好きなんです。

でも、さっきふと思ったのです。聴いているものが光GENJIじゃ、何も説得力はないな、って。

誰が何と言おうと名盤よ?

うん、この絵面を聴いて楽しんでいるようでは、間違っても音楽好きとは言えないよね。

2.
ここからは真面目な話。

「音楽好き」の基準ってどこにあるのかな?どこからが「音楽好き」なのかな?

さっきの話は冗談として、自分は大概に音楽好きですよ?むしろ音楽がないと、自分という存在は腑抜けでしかない。

でも世間の音楽好きの方々の語り口を見たり聞いたりしていると、どうも自分はそういう領域に届いていない気がしてならないのです。何をどこまで語れるようになれば、音楽好きであると胸を張って言えるでしょうか。

世の中はなかなかに難しい。

3.
人間の腐ったもののような話を展開してるので、閑話休題。

4.
フリマサイト巡りをいい加減辞めようよ、と思いながらの一ヶ月ほど。

買い戻しのSACDソフトは一通り買い尽くした感があるのです。今手元にないものは、もうすっかりとプレミア価格になってしまっているものばかり。収集家ではないので、そう言うものにはもう手を出す気はありません。

それでもしばらくの間フリマサイトでSACDソフトばかりを見ていたせいか、目が肥えてきたと同時に、鼻がきくようになってしまったのですよ。「あ、これ、絶対に手元にあると喜ぶやつだ!」と。

そう言う時にどうするか。最近ではChatGPTに相談しています。様々なサイトを横断し、そのソフトの素性を調べ、適正価格までサジェストしてくれる。それらの情報からこちらが総合的に判断して、買うか否かを判断する。

自分の目利きにエビデンスを提示してくれる存在として、ChatGPTを利用しております。目が利いていたので、ChatGPTのミスにも気がつくようになってしまっていますが。

5.
最近手元に引き寄せたSACDソフトは、えっと。

あ、あれだ。birdの1stアルバム。このアルバムのSACDが存在しているとは知らなかった。見つけた瞬間にソロバンをはじいて、ほぼ即買いしてしまいました。だって市場で滅多に見かけないのだもの。価格設定も絶妙なところを狙ってきていたのです。こう言う時は買うのです。買ってから考えるのです。

そんな生き様で私は損を出し続けています。

あ、birdのそのSACD盤は超絶大当たりでしたけどね。内容が担保されているのはリリース当時から十分に知っている、むしろ愛聴盤レベルなのですが、録音の品質が想像以上だったのです。

birdの1stアルバム@SACD

6.
こんなのも、市場に出回っているよりも格段に安価で入手しております。

問答無用、クライバーのベートーヴェン5番&7番

ユニバーサルミュージックのSHM-SACD盤。ロゴ入りソフトケース付き。

おそらくなのだけれども、アンコールプレスではなく初回盤じゃないかな…。

音を楽しむ分においては初回盤だろうがアンコールプレスだろうが、そんな物は関係ないというのは自分のスタンスではありますが、入手してみたらこんなものだった時点で、正直なところプチっと上がりました。人間だもの。

しかもこの盤の割にはお安かったの。3,000円台入口でした。鼻血出るかと思った。

ESOTERIC盤なんてものも存在しますが、こちらはもう欲しいとも思いません。最早プレミア系でしかないから。

7.
あとは…ああ、アレが今日の昼前に届くな…。これは中古ではなく新品。在庫があるうちに手元に残しておこうと。メーカー在庫は相当薄くなっている模様で、取り寄せに3週間近くかかりました。

こいつを入れるために、CDラックもどうにかして場所を空けないと。

届く予定のものはそこそこ大物です。

8.
そんなこんな、かな。

このところちょっと(20261014)

1.
昼前に外出をしようとしたところ、玄関を開ける前に音を立てて雨が降り始める。

少しふて腐れて部屋に戻り、ラトル/ベルリン・フィルのブラームス交響曲第2番を聴く。開け放っている窓からは冷たく湿気った空気が入り込み、その様子を見るかのようにぼんやりと窓の外を見遣りながら聴いていた。

第1楽章のふとした瞬間にドヴォルザークの薫りが漂い、今の自分が音楽を聴く上でとてもよいコンディションにあることを認識した。

闇雲に聴こうとしているわけでもなく、何かを無理に感じ取ろうとしているわけでもない。音楽に耳を委ねられる、よいフィジカルのコンディション。

このブラームスは自分にとっての中庸。耳のバランスを整えるためのリファレンスとなる演奏。それを聴くとはなしに流している時に、そのような薫りを耳がつかみ取った。

そんな休日。

2.
最近、この「中庸」という感覚がとても好きで。どっちつかず、という意味ももしかするとこの単語にはあるのかもしれないけれども、自分にとっての中庸とは先に記したとおり、リファレンス的存在を指しています。

自分の耳をリセットさせたい、感覚を無駄に研ぎ澄まさせたくない、音に対してただ耳を任せていたい。そのような時に引っ張り出す存在が中庸なる存在の音源なのです。

・ブラームスならラトル/BPO
・ベートーヴェンならトレヴィーノ/マルモ管
・後期ドヴォルザークならドゥダメル/ロサンゼルス・フィルハーモニック
・シベリウスならベルグルンド/ヨーロッパ室内管
・マーラー5番ならインバル/都響

エトセトラエトセトラ。ここでは交響曲を挙げてみました。

これらからは新しい発見はもしかするともう生まれないかもしれないけれども、発見をする目的でクラシック音楽を聴いているわけでは決してないので、耳の故郷的な中庸はやっぱりあって有り難いものだと思うのです。

発見がなくとも、リラックスして聴けるという意味では、先の「ドヴォルザークの薫りがした」という、淡い泡の連想のようなものは生まれるかもしれないしね。

3.
クラシック音楽に転がってまだ10年やそこらだというのに、自分、意外とこのジャンルにおいてはコンサバかも。上に書いた自分的中庸音源を見てふと思った。

4.
マーラーの歌付き交響曲、もしかすると本格的にイケるようになってきたかも。

先日、マーラーの2番を聴いたのですよ。それもおそるおそる。

歌が入った瞬間に「うへぇ…」となるだろうことを予想しての再生だったのですが、これが意外なほどにすんなりと自分の耳に入ってきまして。少しは自分の経験値も上がってきたんでしょうか。

いや、上がっていないとちょっと困ってしまうかも。だって、もう、ポップスやロックには完全には戻れない身体になってしまったので。

とりあえず、この後もその方向にチャレンジしてみたいと積極的に思うくらいにはなっております。

5.
そんなこんなで、かな。

感動の軸がずれた

Mrs. GREEN APPLEの最新作アルバム『POPS』を聴いた。でも自分の心は何も動かなかった。

とても濃厚に作られたポップアルバムだと言うことは分かる。密度も展開力も構築力も、売れ線レベルとしては信じられないほどに突出していて、感心することしきり。多くのリスナーに届くであろう、文字通り、タイトル通りのポップなアルバムだとは思った。

メロディにも歌にもアレンジにも、そのドラマ性や言葉や先に述べた展開と、聴き手の感情を大きく持ち上げる…揺さぶるための装置が随所に散りばめられていて、それらの耳、そして心を揺さぶるフックの数々がMrs. GREEN APPLEの楽曲のキモであることは手に取るように分かる。

でも、自分はどうだったか。そのポイントを耳が捉えるだけで、その箇所で自分の心が動くことがなくなってしまった事実を発見した。そして少し寂しくなった。それが全てだった。

作品の中にある要素の全てに肯定できるはずなのに、心が動かない。それは作品を貶める意味での感動の無さなのではなく、自分の感動の軸がずれてしまっただけ、そこに気がついてしまっただけの話。

感動しなくなったのではなく、きっと感動するフィールドが変わってしまったのだろう。そこにおぼえる、一抹の寂しさ。

今現在の自分が何に心を動かされているのか、その輪郭が見えると同時に、かつて見えていただろう世界の輪郭には、無感動になってしまったこの事実。

とても素晴らしい作品だと思った。そしてそれが全て、それだけが全てだった。

このところちょっと(20260930)

1.
ようやくCorneliusの最新作『Refractions』を聴きました。ここ数作の環境音楽にかなり近しい雰囲気になっていたところから一転して、随分とアグレッシヴな作風になっていることにまずは驚き、そして万歳しながら受け入れておりました。

Corneliusならではのサウンドスケープの面白味と、構造骨格のエッジが際立った音響で、聴いていて楽しいの極地。それでいながら井上陽水の問題作「夢寝見」をカバーして完全にCorneliusのものにしているあたりなど、非常に興味深く楽しむことが出来ました。

2回ほどCDリッピングのFLACで聴き、その後にQobuz経由のハイレゾで聴いたのですが、CD音質では中高域のエッジがギンギンに尖っていたものが、ハイレゾでは中低域のふくよかさが加わり、より肉感的な仕上がりに。

ここまで異なると、CDとハイレゾとでマスタリングを変えているのではないかと思うほど。エッジィなCD音質もギリギリと音が迫る感覚で楽しく、ハイレゾ音質はよりフィジカルに響いてくるあたりに面白味を感じるのです。

いや、今作、ちょっと、アレだ。久しぶりにハイレゾ音源を購入してみようかしらと思わせるほどの魅力にあふれているわ。

Refractions - Cornelius (特典なし)

2.
横山幸雄のショパン全集、先日リリースされたVol.1とVol.2を同時に購入しました。

自分が横山幸雄に期待するのはキラキラと輝きが飛び散るピアノの音なのですが、今作では良い方向にそれが完全に裏切られました。

例えば練習曲の12曲を切り取って見てみても、それぞれの曲により表情を大きく変えながら演奏している姿が手に取るように分かります。時にとことん甘美に、時に烈するかのように、そして時には非常に内省的にと、その姿が変わるのです。

本SACDを2枚聴いて感じるのは、ピアノに込められた感情の引き出しを多彩に引き出している横山幸雄の技巧と表情の豊かさですね。そして根底にあるのは思慮深さ。ショパンに対する、観察眼の鋭さと広さとも言えるかもしれません。

なにより聴いていて退屈しないのが素晴らしいですね。自分がショパンに対してまだまだ白紙の状態なのも幸いしてますが、次にどう来るか、このタメで次はどんな表情に変わるんだろう?とワクワクしながら聴いていました。

いやぁ、楽しいわ。

ショパンVol.1 練習曲集
ショパンVol.2 スケルツォ集、幻想曲、舟歌

3.
月初三連休(明日が月初なので)の中日は、まぁ、こんな感じで、ほぼほぼCorneliusと横山幸雄でありました。

4.
そんなこんなで。

このところちょっと(20260929)

0.
ノートパソコンを新調しました。以前から引き続きhpのマシンをチョイス。画面が広くなり動作も快適。これでものを書くことのモチベーション、まぁ、ニンジンとなるわけです。

事実、ChatGPTと音楽アプリとブラウザを開くと結構動作の重さが気になっていたのでね。

1.
くらころの記事数が30本になりました。

始めた自分が言うのもアレなのですが、よく続いているな、と。飽きることは今のところなく、クラシック音楽を聴きながら感じたことや考えたこと、見えたものを文字に落とし込む作業は楽しさの極みであります。

目標とか野望のようなものが漠然とあったりもするコンテンツなのですが、まぁ、そのようなことを意識せず、まだまだ続けていこうと思います。書けるときには一気に書き上げる。書けないときには2週間だって放置する。そんな自然体で。

それにしても、ここまで音楽と文章とを結びつけて何かを書くことが楽しいのは、実は結構久しぶりなのではないかとも思っていますね。

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2.
同僚の異動に伴う会社飲み会が昨晩あったのですよ。19時スタート、お開きになったのは2時。26時の2時です。そりゃ、起きれば頭も重いし身体も重いし、どうにもこうにもだったのです。

そういう状況だったので、ChatGPTに「二日酔いの朝に耳が喜びそうな音楽を提案して」と依頼し、出てきたリストの中から意外性があったBill Evansの聴いたことがないアルバムをチョイス。

外は雨でしたが、窓を少し開け、湿った冷気を部屋に取り込みながら聴いておりました。

徐々に回復してきたので、エリオット・ガーディナー/LSOのシューマンを次に聴き、昼下がりにはZARD。そこからのbird。そして今はUAであります。

3.
UAは『turbo』をチョイスしております。今、まさに流しています。この作品の微妙かつ絶妙にダブでドープなところが昔から本当に大好きで。

以前はこのアルバムと向き合う際には総体的な雰囲気をまるっと楽しんでいたと思うのですが、今になるとずいぶんと楽曲毎に耳がついて回る感じがしています。より一層解析的に聴けているのかもしれません。

もちろん基本的なところでは「やっぱりこのアルバムはカッコいいなぁ…」といった単純レベルでの感動やら感慨で聴いているのですが。

4.
昔から親しんでいる作品を解析的に聴けているのは、現オーディオシステムの再生精度の高さによるところがあるのかもしれません。

極端に解像度が高いわけではありませんが、適度に音が見えて、適度に雰囲気も楽しめて、といった音環境になっているからこそ、そのようにできるようになったのかもしれませんね。

身の丈レベルのオーディオシステムに戻ってきたことで得られる、個人的精神衛生上の満足度の高さ、とでも言えばいいかしら。

5.
で、CDリッピング由来のFLACファイルに変換してる音源は、オーディオ用NASからの再生運用であることは何度もここに書き留めていることですが、その再生系統は2系統ありまして。

A:NAS→SACD30N→Wiim Amp Ultra
B:NAS→Wiim Amp Ultra

音の雰囲気を重要視したい時やDSDファイルを再生する時にはAルートで、手軽さやキリッとした音を求めたいときにはBルートと使い分けることが増えています。

UAはAルートで聴いていますよ。

6.
SOUNDPEATSが近日発売するというフラッグシップワイヤレスイヤホンが気になりまくっている今日この頃。

ワイヤレスイヤホンに3万円前後払うことがいかに無意味なことであるか、とか、でも今使ってるワイヤレスイヤホンもSOUNDPEATS製で結構満足しているんだよな、とか、色々ぐるぐるあれこれと考えております。

SOUNDPEATSのワイヤレスイヤホン、本当にいいんすよ。ここのイヤホンを使うと、SONYやTechnics、ましてやAppleのイヤホンなんて使う気にもならなくなるほど。

コスパという言葉以上の満足を得られると思っております。

買うかなぁ…買わないかなぁ、まだ分からないなぁ…。

7.
そんなこんなで。

このところちょっと(20260921)

0.
日照不足の今年の夏秋。今日は台風。繰り上げ退勤させられたのはいいが、一番風雨が強い時間だったぞ。膝下ずぶ濡れにて夕方に帰宅。

1.
先週書けなかった『くらころ』を、その帰宅後に一気に2本書きました。とはいえ、ネタのストックは結構な形になって残っていたので、それを文章として立たせただけという感覚です。

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こっちは深海系。

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こっちは宇宙刑事ギャバン…もといミラーボール系。タイトルがね、もうね、「蒸着!」と叫びながらテーマソングを歌いたくなるわけで。そういうノリで書きました。

まぁ、この2本の振れ幅がいかにも自分らしくてよい。自画自賛。

2.
あれ?音波さんも2週空いてしまっている。先週の休み、俺、何してたっけ…。

3.
最近のブーム。FIIO Q3。ずーっと前から所有しているあのDAC。面白いんですよ。有線ピヤホン5をアンバランスでQ3に接続して聴くと、DAPでは見えないようなサウンドスケープが味わえるんですよ。

これ、何と表現したらいいのかな。音の層が明確になるとでも言えばいいかな…。いや、今まで味わったことのない層が見えるというのかな…。そしてそれらの重なり具合がまた心地よいんだわ。

自分にとってQ3は名機なんですよね。だから「違う」と思ったらすぐにドナドナする自分なのに、こいつだけは延々と手元に起き続けている。で、忘れた頃に遊びまくる。

楽しくて楽しくてあれこれザッピングしながら聴いて、二晩連続寝落ち。

何やってるんだ、俺。

FIIO Q3遊び

4.
上白石萌音さまの新譜のハイレゾ価格が、ユニバーサル・ミュージックならではのあまりにも強気すぎる価格設定で泣いた。購入を泣く泣く見送った。こんなの初めてだよ!悔しいよ。

5.
先日、DEZOLVEのビルボードライブ横浜でのライヴを観てきました。地上波出演直後と言うこともあって、観客の1/6程度は初めてDEZOLVEを観るという方々。

本田雅人を迎えてのライヴ内容は、かつてないほどにキレッキレの演奏で魅せてくれました。もともとが切れ味鋭いバンドだというのに、それがさらに研ぎ澄まされて、もうヤルかヤラれるかの世界。このバンドはまだまだ成長しますね。伸びしろしかない。ずっと追いかけ続けます。

6.
来年度のライヴ鑑賞計画をそろそろ考えないとね、という時期になってきたかな。

・DEZOLVE
・デラックス×デラックス
・B'z

はマストとして、それ以外のアーティストを慎重に見極めながら足を運ぼうと思っています。コロナ禍明けの「うおー、ライヴ観まくってやる!」期から脱するかな、と。

7.
えーっと。10月にリリースになる山下達郎のライヴアルバムは当然予約しております。ただのCDは買わない主義の私でも、達郎さんは買わないわけにもいかないしねぇ…。

8.
まぁ、そんなこんなで。