音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

感受性応答セヨ / eastern youth (2001 FLAC)

はい、朝ですよ、朝。

このアルバムとも長い付き合いだと思いながら聴く。

20代で聴いていたeastern youthと40代も終わりに近づいている年齢で聴くeastern youthとは訳が違う。言葉の入り方とその深度が全く異なるのですよ。表層をなぞってはその気になっていた20代と、心の奥底をえぐるようにギリギリと締め付けられる40代との、この大きな差よ。

20代のかつての自分よ、これが手前の人生のなれの果てだ。

感受性応答セヨ

ドヴォルザーク:交響曲第8番 / イルジー・ビエロフラーヴェク, チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (2013/2021 96/24)

今晩のクラシックタイムラストはドヴォルザークで。交響曲第8番。既に日は昇っていた。

ドヴォルザークは洗練からはやや遠い存在にあると見る人もいるけれども、そう言った次元での話ではないような気がしている。

おそらく、の話ではあるけれども、明快な旋律とその意味するところも分かりやすい点が、難しく捉えられがちなクラシック音楽からはやや遠い位置にプロットされる、と言うニュアンスなのかな、と。

自分は好きですけれどもね、ドヴォルザーク。前述のように分かりやすいのだもの。

Dvorak: Complete Symphonies &

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 / スヴャトスラフ・リヒテル, ヘルベルト・フォン・カラヤン, ウィーン交響楽団 (1962/2019 Hybrid SA-CD)

せっかくの夜クラシックタイムなので、ピアノは聴いておかないとね。

ヴァイオリン協奏曲よりもピアノ協奏曲の方が遙かに好みだという理由を一瞬考えてみたのだけれども、大した答えは出てこなかった。

弦楽器よりも鍵盤楽器の方が直接触れていた期間が長いからなのかもしれない、などと言う単純な答えしかね。

それはともかく、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。定番中の定番曲だけれども好きだ。壮大でメロディアスで、技巧的でもあり、時にチャーミングでもあり。ピアノの持つ楽器としての力を存分に描き出し引き出している曲だと思える。

一時はその打鍵の強さからリヒテルから離れていたこともあったけれども、やはりこの人の強いからゆえの美しさを演出出来るキャパシティの広さは、自分の耳を引きつけて止まないのだな。

マーラー:交響曲第5番 / レナード・バーンスタイン, ニューヨーク・フィルハーモニック (1963/2018 SA-CD Single Layer)

21時過ぎまでは記憶がある。そこから1時過ぎまで寝こけていた。

目が冴えている。

今日も仕事だが、マーラー第5番。バーンスタインの雄々しい指揮で。

真夜中のマーラーは猛々しくも美しく鳴り渡るからか、夜の孤独を感じるのには相応しい。

孤独とは独りであることではなく、パーソナルな時間を愛すること。自分の中にある得体の知れないものを眺め愛でること。

音楽によって掘り起こされるそれを慈しみ、そしてなだめること。

心をささくれ立たせるも、丸く保つも、音楽の力を借りることで自由自在に。

年を経れば経るほどに、音楽は自分の中でかけがえのない存在となってきた。

そのようなことをつらつらと考えているうちに、マーラーは進む。

マーラー:交響曲全集(完全生産限定盤)

Every Best Single 2 ~Early period~ / Every Little Thing (2015 48/24)

通勤の復路に。

Favorite BlueがEvery Little Thingほどまでに成り上がれなかった理由は、持田香織のような強いキャラクターを持つ存在がそこにいなかったことと、何よりも名バラードを残せなかったことにあるな、と思いながら聴いていた。

当時は「globeそのまんまやん」などと馬鹿にしていた「Time goes by」など、今改めて聴き直すと、いや、とんでもない名曲ですよ。

またしても何を今さら、ですが。