真夜中のクラシック音楽は、自分の思考の波に対してそれを増幅させられるような感覚を得ることが出来るので、なかなかに興味深いものがある。
それは抽象的な不安であったり、相反する楽観であったり。もしくは人生についてであったり、またはそこは無でもあったり。
シュミットの緩やかに流れ、目の前を通り過ぎていく作品に相対すると、自分の中にいる思考と言う名の得体の知れぬ化け物が、その音楽性と真逆に自らを蝕んでいくような感覚に陥ってしまう。
そこに歌われている旋律は実に牧歌的なものであるはずなのに、それがそうであると形作られたものの中身にあたるものは、やはり目の前を通り過ぎていく抽象なのだ。