音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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1234 / 大江千里 (1988 44.1/16)

1988年。

東京。

おそらく街中が華やかな灯りと希望、夢、欲望にあふれていた時代。その中で自らを持て余しながら生き進んでいた青年は、今、あの時代を振り返りどのような思いにとらわれるのだろうか。

あの頃に心の奥底で燃やしていた烈火は、もはや遠い熾火となっているのだろうか。それとも火種は完全に尽きただろうか。

青年は今どこに住まうだろうか。まだこの街にいるのだろうか。

あの頃と今とは切り離されているだろうか。それとも影の伸びた先にある消失点に立っていると感じているだろうか。まだ道は続いていると目を輝かせることもあるだろうか。

かつての青年に子どもはいるだろうか。その子もまた青年になっただろうか。あの日の瞳の奥にある強い意志は引き継がれているだろうか。引き継がれる価値ある瞳をあの日の青年は持っていただろうか。確かにここにあったと確信を持ちながら、追い越された身長を見遣ることもあるだろうか。

2023年。

35年後の今の東京と青年がその手につかんだものは何であろうか。時間、価値、命。まだ積むべきものはあると思い願い請い、静かに自分を燃やしているだろうか。飲み干したグラスの底を見つめながら、取り込まれ失われたもののはかなさに思いを寄せることもあるだろうか。

胸の中に刻むカウントは数字を減らすものではなく、まだまだ重ねていくものだと信じ続けて今に至るだろうか。朽ちるにはまだ早いと、力強くその足を踏み出しているだろうか。

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