疲れ果てて帰る週末の地下鉄は10分遅れでやって来る模様。ホームにたたずむ自分の耳には稲葉浩志の声。
相も変わらず弱い自分を、強くも儚い彼の詞(ことば)が叩きのめしていく。
あるのは応援でも同情でもなく、ただそこにいる一人の男と、ここにいるただの一人の男との対比。それを如実に、あまりにも残酷に描き出し暴き出していく無情な歌声。
詞にあるのは現実。まごうことなき現実。絵空事も夢物語もありはしない。現身がここに立っていることそれが全てなのだと強靱な喉仏を震わせて歌い迫る。
いや、私だってここにしかと立っていると薄い胸を張る。もちろんそれは虚栄がなす哀れな影。泳ぐ眼と竦む足。その姿を嗤う私の中にいる誰か。
形を持たない誰かの嘲笑が、ここまでの愚行を省みよと後ろ指をさす。かつての日にいた私を俯瞰し凝視している。
情けのない身体を寄せ合うあの部屋に、果たして心の交歓はあったか?
強い言葉を操っていると思い込みながらも、道に背を向けていることを誤魔化してはいなかったか?
いくつもの問いかけが自らの中を漂い、答えは像を結ばないうちに霧散していく。
全ては己の所業なのだと口にするのは容易なこと。逃げ道を与えない正義は暴力。己に与えた心の裏口からの逃亡は許されるだろうと、自白者の憐れな表情を顔に貼り付けては我に返る。
まだまだだ。私はまだダメだ。
身体を泳がせ言葉を漂わせ、あの手この手で線を引いては非武装地帯に身を寄せている。かわいい己を愛し続けるただ一人の男、そう、どこにでもいる、ゴロゴロとそこら中に転がっている己をまだまだ愛し続けてもいいだろう?
稲葉浩志の少し強い言霊が、自分の胸の中にある背徳を少しずつ撫でて均していく。己の中に持つバネを信じてまだ跳ねていてもよいのだと、自信を持たせてくれる。
添う影が切り離されることのない限り、まだ歩くことは許されるのだと。そのように。