音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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さよならストレンジャー / くるり (1999 44.1/16)

なんとなく久しぶりに、相当久しぶりに聴いた。

25年前の自分よりも、素直にここにある音楽たちと向き合えた気がする。音楽を音楽としてのみ捉えている、とでも言うか。

音楽を前にして何かを作り出そうと躍起になっていた過去の自分がいるのは事実。このアルバムは見事にその標的にさせられていたよな。

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30数年暮らした住まいを変えることによって、その片付け作業において発掘する「過去の遺物」達と相まみえる機会が多かったここしばらくのこと。特に20代半ばから30代終わりにかけての、非常に病んでいた頃の自分が書き殴った、文字通りの手書きのメモに遭遇する度に、直視できないような、それでいて懐かしいような、少なくとも50歳になった今の自分にはもう既にないものが、そこには沢山詰め込まれていた。

神経質さに拍車をかけるかのように細いペンで記された文字。整然と並ぶそれらに自分が込めていた思いは何だったのか。もちろん全てを忘れ去ってしまったわけではない。眺めれば思い出される数々の風景、光景、場所、温度、空気、臭気、生活、きりのないものたちが津波のように押し寄せてきて、そこにあてられてしまう。

事実それらを長い時間読み解くほどの体力は今の自分には残ってはいない。あまりにも持て余したその精神的体力の記録を前に、嘔吐感にも似た嫌悪もおぼえるほどだった。

気持ちの悪い過去の自分も、今の自分と地続きのもの。生きていくうちに何かを路傍にポロポロと置き忘れていき、そしてスリムな自分として今に残る。置いていった物を排泄物だとまでは言わないが、きっと日常の中でそこに流していってよかったものなのだろう。

さよならストレンジャー