自らの中にある何かしらの追憶とともにこのアルバムを。
先に聴いたブッチャーズが、天王洲アイルにあったあの当時勤めていた旅行会社の自社ビルに閉じ込められていた頃の自分を鮮明に思い出させるのであれば、バインのこのアルバムは、大久保にあった外資系ISP企業にいた頃の自分を思い出させるのです。大久保駅のホームから見下ろしていた風景とともに。
いや、単にノスタルジーにふけっているだけです。落ちるのは簡単だけれども、そうそう容易には落ちないところが今の私なのだろうと。音楽は心のブースターではあるけれども、その方向を誤らないようになった、遅くはあるけれどもそれ相応に大人になったことの証でもあるかと。
昨日、高校時代の旧友に9年ぶりに会ったことが、このような行動に結びついているのかもしれません。
ははは。
このアルバムを愛していた「可哀想な自分」からそろそろ25年か。確かに今これを聴いて、まだ「可哀想」だなんて言っていたらピーター・パンも真っ青な生き様になってしまうな。