人は何をしようが、何をなそうが、人間であることを超えることも逸脱することも許されない。それは人としての枷なのだろうか、限界なのだろうか、人は諦めるための器に収め封じられているということの現れなのだろうか。
近年の中島みゆきは、人として生きることとの手綱を緩めない、緩めさせない曲を高らかに歌い上げていることが多いように感じられる。
人として生きることに絶望している者へとって、その歌声は傷口に塩を塗られているようなものかもしれない。一方で、それを活力として生きることへの望みをつないでいる者もいるのかもしれない。
私には安い応援歌などは必要ない。そのような毒にも薬にもならないものは必要とはしていない。中島みゆきが握る白刃で寝首を掻かれることを夢見たいのだ。私の体内にも熱く迸る血が流れていたと、事切れる瞬間に証明して欲しいのだ。