音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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Union / Polaris (2005)

ここ二三年、特に自分の身体が気になるようになってきた。見てくれとしての身体ではなく、身体を作り上げる筋肉と筋肉に宿る力が気になってきた。簡単な腹筋運動でも、一週間もさぼってしまえば、風呂上がりの鏡に映るお腹は醜くのびてゆく。ほんの少しでも出歩くことを横着すれば、10分の道程がやけに遠く感じるようになる。

健全な魂は健全な肉体に宿るとは少し言いすぎで、それでも、身体が心をサポートしてくれる実感を得られるようになったのは、自分が持つ自分への興味が魂の面倒をみることに慣れてきて、それよりも少しずつ外側の領域に移ってきたからなのかもしれない。それがアンチエイジングへの入口、加齢だというのであればウェルカムだ。

遅い夕食を作りながらリビングに放り投げたPolarisの音は、やけにボディだった。実体のない音空間を、音の骨と音の肉がまず器ありきで形を結びながら一瞬の偶然を一生と言い換えてもよいかもしれない時間の皮でコーティングしていく。三年で入れ替わってしまう細胞も瞬時においては王であるように、音は瞬時と総体の器と、そしてその外側で耳を持って立つ自分との偶然でたまたまそこに存在し、その一瞬の感覚はその存在とともに絶対としてある。

今ある身体が今、音に背中を支えられ、支える身体が音として存在しているのを確かに感じる感覚。魂という言葉が煙に巻いてしまうあの泡の感覚ではなく、触れる対象としての肉体があるからこその温度と力を感じるような、その実体感が見えるようになってきたのも、自分の興味が少しずつ外側へと向かってきている証拠なのかもしれない。