音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

当コンテンツではアフィリエイト広告を利用しています

ゴールデン☆アイドル 山口百恵(抜粋) / 山口百恵 (2015) Hi-Res

今日は山口百恵の全シングルハイレゾ解禁日。微妙に気になっていたので、まずは1曲「プレイバックPart2」をダウンロード。

うん、いい。基本的にはCD並みの音質なのだけれども、たまに入り込むストリングスの勢いや、シーケンス音などはハイレゾならではの分離感を伴って、面白い聞こえ方がしてくる。波形も見てみたけれども、どうやらそれほど悪い波形ではないらしい。聴感上もそれほど当たっている印象を受けないので、ハイレゾ音源としてはまずまずの出来なのではないかと。

そのままの勢いで「横須賀ストーリー」「イミテイション・ゴールド」をダウンロード。期せずして、全曲宇崎竜童作曲楽曲になってしまった。このちょっとツッぱった感じの山口百恵の曲が好きなものでして。

スピーカーで再生してみると、当時のややローファイな音質に感じられ「元の音源に変に手を加えてはいないのだな」ということは分かったが、やはり音をいじりまくったリマスタ盤を聴いていた身としては、何かが物足りない。ところがヘッドホンで再生してみると、中高域の音も十分に出ている。これは自分の耳の問題だな。

と、この3曲があれば十分です。宇多田ヒカルと同様、ハイレゾつまみ食い。バラ売りがされているからこそ、出来る技ですな。

Greatest Hits!!〜updated Omokage Lucky Hole〜 / Only Love Hurts (2015)

キタキタキタキタ。事実上、今年1枚目の新譜CD、Only Love Hurts(旧:面影ラッキーホール)のデビュー盤にしてベスト盤。そのふざけたコンセプトもさることながら、解体状態のバンドメンバーをどこからかうまく拾い集めて、再レコーディングのベスト盤を作ってしまおうという意気込みがまた素晴らしい。今後の活動資金の調達に走ったか、aCkyさんよ。

中身はもう問答無用の、旧面ラホの上澄みだけを取って、それが逆に酷い臭いを発しているという選曲。このバンドを受け入れられるかどうかの試金石として見事に成立していること自体が素晴らしい。オリジナルアルバムだからこその幅広い腐臭もいいのだけれども、おいしいとこ取りの腐臭はそれこそ臭いのきついチーズを食わされているような気分になって、非常に不快。その不快感を燃料にすることが出来るかどうかが、このバンドを好きになれるかどうかの分水嶺なのだろうが、まさか自分がその分水嶺の頂点でバンドへの愛を叫ぶことになるとは思ってもみなかった。

すぐに飽きるだろうと思っていながらも、結局はオリジナルアルバムを全て集めてしまうほどに愛してしまったし、強引なレコーディングをしたようなアレンジが施されたこのベスト盤もまた愛することが出来る。そんな自分愛を再確認することが出来る、なんとも痛快な作品よ。決して人に勧めることの出来るバンドではなく、それこそ、雑誌の微エロコーナーをこっそり立ち読みしているような気分で接するのがふさわしいバンドではあるけれども、でも、そういった存在もまたヒットチャートのカウンターとして存在するのだということを、十分に理解して、このバンドへの投石は止めにして欲しいと思う。いや、誰も投石するどころか、見向きもしないだろうが。

ああ、このバンドを知ることが出来てよかった。好きでよかった。このベスト盤を聴いたら、ここから残念ながら漏れてしまった佳曲の数々に再び触れる旅に出よう。本作はあくまでもショーケース。深い不快感はまだまだ沢山残されている。それを是非知って欲しい。日本の音楽界の徒花として、今後もまた再び咲き直して欲しい。ありがとう、面影ラッキーホール。これからもよろしく、Only Love Hurts。

Greatest Hits!!

Greatest Hits!!

マイルドヤンキーの生態学 〜面影ラッキーホールの歌詞に見る世界〜

面影ラッキーホールベスト盤発売記念として「マイルドヤンキーの生態学 〜面影ラッキーホールの歌詞に見る世界〜」なる小論文を悪のりで書きました。ご興味のある奇特な方は是非ご一読頂ければ幸いです。はっきり言って読了感最悪です。

---

『マイルドヤンキーの生態学 ~面影ラッキーホールの歌詞に見る世界~』

「マイルドヤンキー」という言葉をご存じだろうか。2014年初頭から謳われるようになった特定の生活層を指す言葉で、主に郊外や地方都市に住む低所得層の一家を指すことが多い。軽自動車のミニバンに乗り、ショッピングモールを愛し、若いうちに子どもを作り、そして共働きでカツカツの生活を送っている層を意識してもらえればよいだろうか。とりあえずは、決して好意的な意味では用いられない言葉であることをまずは念頭に置いて欲しい。

そしてそのマイルドヤンキーなる言葉が生まれる遙か以前からその存在の生態系に着目し、彼ら彼女らの生活を歌に込めて社会に送り続けてきたバンドがある。それが「面影ラッキーホール」である。1992年に結成されたこのバンドは、デビュー以来、誰もが目を背け、そして蓋をして通り過ぎるような、社会の底辺を歩む人間達の生態を克明に描き続けてきた。それゆえ、決して音楽界の表舞台に出ることはなかったが、マイルドヤンキーの人生、生活の切片を描くということにかけては、卓越した描写能力を持った存在だった。

2014年、このバンドが改名を発表し、その後初めてのリリースとなるベストアルバム『Greatest Hits!!~Updated Omokage Lucky Hole~』の発売記念として、その面影ラッキーホールが描いてきた、マイルドヤンキー達の誇大表現のない描写を、曲の歌詞と共に分析して行きたいと思う。

1.著者が見たマイルドヤンキーの典型からの面影ラッキーホール ~幼い両親、幼い子ども~
マイルドヤンキーはまず、大型ショッピングモールを愛することで知られる。買い物もデートも食事も全てショッピングモールの中。休日はショッピングモールで過ごすことが、生活の定番となっている。軽自動車のミニバンで駐車場に乗り付け、2~3人の比較的幼い子ども達を連れ、特に目的もなくショッピングモールの中を闊歩する。子どもも幼いが、親もまた同様に幼い。

そしてその姿と言えば、上下共にスウェット着用。足にはクロックスのサンダル履き。フードをかぶり、覇気のない歩き方で訳もなく子どもを叱りながら歩く。そして子どもが口を出そうものなら先に手が出てしまい、子どもは大泣き。そしてその子どもを無視して、親はまた目的もなく歩き続けるという光景を、著者はショッピングモールの中で何度も目にしてきた。

面影ラッキーホールを代表する曲の一つにこのような歌がある。「あんなに反対してたお義父さんにビールをつがれて」。歌詞の内容はこうだ。

主人公の成績は中の下。ワルではなかったが、周りが不良ばかりだったので、いつも一緒につるんでいた。セックスの経験がないことがコンプレックスで、自分勝手な思い込みから幼なじみの「みちこ」を強姦してしまう。そしてその一回のセックスで大当たり。子どもを授かり、みちこの父親に力一杯殴られる。

やがて二人は駆け落ち。主人公は設備屋に就職、みちこはスーパーでパート。20歳にして3歳の子どもを抱えての共同生活。周りの大人からの悪意ある好奇心の言葉が二人を大人にし始め、そして駆け落ちから5年経ったある日、みちこの実家に帰省する。そして主人公を殴り飛ばしたみちこの父親は、二人の子に「お前のおじいちゃんだよ」と涙を流して会えたことを喜び、主人公にビールを注ぐ、というお涙頂戴なストーリーである。

マイルドヤンキーの特徴とされる行為の一つとして「できちゃった結婚」がある。この曲は正にそのできちゃった結婚を歌い(しかもその理由が強姦というところがあまりにも酷い)、幼い二人が幼い子どもを育てるという一歩間違えると犯罪同然の世界観を一曲の中に描ききっている。

しかし地方において、セックスは若者にとって非常に重要な娯楽である。そう言い切ると悪意のある発言に取られるかもしれないが、早婚、娯楽の少ない生活という環境下において、セックスという行為は重要な娯楽として位置づけられてもおかしくはない。

そのような環境で幼い両親が幼い子どもを多数育てるということは、すなわち貧困にも繋がりかねない問題を孕んでいる。マイルドヤンキーの特徴の一つとして低学歴、低収入も挙げられている。正にこの曲の主人公とみちこの生活は、マイルドヤンキーの特徴そのものであると言えるだろう。この作品は1998年発売のアルバム『代理母』が初出である。実に17年前にマイルドヤンキーの生態の一つを捉えていた。

2.子ども殺しの面影ラッキーホール ~娯楽の少ない環境に生きるマイルドヤンキーの生態~
面影ラッキーホールの楽曲の特徴の一つに「子ども殺し」がある。連日報道される、児童虐待による殺人事件。そこに面影ラッキーホールは早くから着目をし、楽曲のネタとして取り入れてきた。その典型例の一つが「ゴムまり」(2011年発表アルバム『ティピカル・アフェア』収録)である。以下、主題から外れるが、余談として一読頂きたい。

10歳離れた若い男性との結婚を夢見る子連れの女性が主人公。しかし男は子どもを嫌い、何かと言っては暴力を振るい、挙げ句の果てに娘を蹴り飛ばし殺してしまう。そして冷たくなっていく娘の傍らで女は四つん這いになり、男からのセックスを強要されるという、何とも目を背けたくなる、しかし報道の裏側にしか存在しない仮定の現実がここにある。正に児童虐待をストレートに歌った、面影ラッキーホールでしか出来ない技である。余談はここまで。

そしてもう1曲。これはタイトルが全てを物語っている。「パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏」(2007年発売シングル)。そう言えばそのような事件も夏になるとよく報道されていたと思い出す方も多いだろう。最近ではパチンコ店の駐車場も警備員が警邏するようになり、このタイトルのような痛ましい事件もあまり聞かなくなったが、一時は毎年のようにこの手の報道がなされていたものである。

地方都市に出掛けたことのある方ならこんな光景を見たことがあるだろう。街の中心から外れた国道沿いに建ち並ぶ大型パチンコ店。これほどまでに需要があるのかと言うほどに建てられたそれらは、だだっ広い駐車場を擁し、誰もが車に乗ってやってくるということが読み取れる。地方に住む者にとって、車は必需品である。一家に一台ではなく、一人に一台であることもザラだ。車はマイルドヤンキーたちにとっても必需品。その車を利用して出掛ける先がパチンコ店であることを、その光景は自ずと物語っている。

ここでの主人公は女性。旦那は仕事に就かず、子育ては不慣れ。パチンコだけが現実を忘れさせてくれた。30分だけパチンコをするつもりがすぐに大当たり、そして確率変動7連チャン。車の窓は開けておき、哺乳瓶は置いておいたと主人公は述べている。そう、歌詞は叙述で綴られているのである。しかし車の後部座席に置いてあった「代紋TAKE2」の表紙は乾涸らびて、「ミナミの帝王」のビデオものびきって、娘もまた同様に…。あとは述べるまでもないだろう。

ここでの着眼点は「代紋TAKE2」と「ミナミの帝王」である。どちらも読者層をヤンキーに絞り込んだある種の名作であり、このタイトルを歌詞の中に配置する事で、彼ら彼女らは元ヤンキー、今のマイルドヤンキーであることを表現している。

その車に乗ってやって来た主人公は、文字通り、真夏の炎天下、車の中に置き去りにした娘を意図せずして殺してしまう。パチンコというマイルドヤンキーにとって貴重な娯楽の場が修羅場に転じるという事件を、主人公の叙述と小技の効いたアイテムを利用して描いた作品として、面影ラッキーホールが描く世界の一つの傑作とも言える作品に仕上がっている。

3.終わりに
多少強引に面影ラッキーホールの描く世界とマイルドヤンキーの生態についての関連性を述べてきた。

前述のように、マイルドヤンキーなる言葉が現われる前に、面影ラッキーホールは彼ら彼女らの生態に着目し、それを見事な筆致で描き歌い上げてきた。ただひたすらに人生の裏街道を歌い続けてきた彼らは、時代に即した世界を切り取ると同時に、それらが時代の先読みでもあったということは、特筆に値するだろう。

マイルドヤンキーが好む音楽としてEXILEが挙げられることが多いが、彼らが描く恋愛像、連帯像をシニカルに俯瞰し、切り取り、描いてきた存在として、面影ラッキーホールというバンドがいたということを是非とも知って頂きたく、ここに論じた次第である。面影ラッキーホールはOnly Love Hurtsと改名をした。改名をしたとしても、今後も時代をそして事件を切り取り続けることだろう。痛ましい事件を、目を背けたくなる現実を、報道されない裏側を、常に描き歌い届けてくれることを願って、ここに筆を置く。