音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

当コンテンツではアフィリエイト広告を利用しています

ブルックナー:交響曲第8番 / ヴァント, ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (2001/2019 SACD)

超大作、ブルックナーの8番を。一楽章ごとにじっくりと腰を据えて聴く。

確かに明確なメロディはない。果てなく広い湖の淵に立ち、風がいたずらする波を眺めているかのような感覚。

それは場面転換と楽器の構成で作り上げられる幻想のようなものであり、それでいて楽曲の本質でもあるかのように思えてくるから不思議なもので。

心と時間に余裕を持てているからこそ堪能できるブルックナー。綴られる詩はページをめくれどもめくれども終わりを感じさせない。

シューマン:交響曲第3番「ライン」 / ヤルヴィ, ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン (2010 SACD)

朝のクラシック、もう一枚いけた。

シューマンを演奏するには軽やかさが欠かせないと前々から思っているのであります。

その意味でこの演奏は合格点以上の満足度。ドイツ・カンマーフィルならではの機動力の高さと、ヤルヴィならではの見通しのよい解釈とが、見事に噛み合っている傑作ではないかと。

このようにして、清々しく朝を迎えるわけでありますよ。眠くなってきたけれど。

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第5番 / リヒテル, ロヴィツキ, ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団 (1959/2019 SACD)

おもちゃ箱をの中身を引っかき回すだけ引っかき回して、結局遊ばないよ、的な作品。と、勝手に解釈している。

ショスタコーヴィチまでは難解にならず、マーラーほど重くはなく、その中間点ほどで適度に音遊び的な音楽を作るユニークな作曲家が、このプロコフィエフではないかと。

そこにリヒテルの技巧が乗るわけで、そりゃあまぁ、痛快極まりなく。均した頭の中身をいきなりこちゃっとこねくり回す音楽で朝を迎えてみました。

さ、そろそろクラシックタイムも終わるかな。

J.S.Bach:Toccaten und Fugen fur Orgel / Ton Koopman (1984/2017 CD-DA)

9枚組ボックスセット『Bach・Koopman』より。

そう言えば「トッカータとフーガ」なんてベタなもの、なかなか聴くこともないな、などと思い聴き始めた。

現代のチェンバロの名手でもあり、またオルガニストでもあるコープマンの、流麗かつ重厚なオルガンワークが楽しめる。

自分の中ではバッハは編み物と曼荼羅にたとえられているのだけれども、この作品は正にその典型と言っていいのでは。

音が縦横にしっかりと組み上げられ、なおかつ螺旋を描くかのように天上へと向かっていく音階が、自分にそう思わせるのだよね。

バッハはもしかすると、最もプリミティブな宗教の集約点なのかもしれない、などと思ってみたり。

Calling the muse / Bruno Helstroffer (2018 ハイレゾ 96/24)

リュート系の楽器、テオルボによる器楽曲作品集。多弦ならではの音の厚みとアルペジオの美しさが夜の部屋に染み渡る。

ブルーノ・ヘルシュトロッファーによる演奏。リュート系の演奏は自分の中ではクラシックとはまた異なる位置づけにある。独特の立ち位置。

睡眠をしっかりと取ることも自分には大切なことではあるけれども、家族が寝静まり、無音になった空間で、このような繊細な響きを部屋に行き渡らせることもまた、睡眠と同じく自分には必要な行為なのであります。