本日の朝一に。
朝からなかなかにヘヴィなものを聴いておりますね。
昨晩のこと、HDtracksを眺めていたのです。目的は上原ひろみのどの作品がハイレゾ配信されているかと言う確認作業でした。
「hiromi」と検索窓に打ち込んで返りを待つと…このアルバムが。スカパラがHDtracksで、かつハイレゾ配信されていたの?それは知らなかったぞ。
と、価格を確認すると「$20.98」。3枚組のアルバムですよ、これ。日本ではいくらするかって、こんな値段じゃ買えませんって。しかも日本国内でこのアルバムのハイレゾ音源販売はないし。
ブツブツ言いながらお買い上げ。
と言うことで、今朝は寝起きから、散歩途中から、帰ってくるまで、ずっとこのアルバムを聴いておりました。
小骨が喉に引っかかったかのような、なんだかね、と言う気分でもありつつ。
自分でも面白いことに、このアルバムを聴くにはそれなりの体力と精神力を必要としていたのです。
購入直後に聴いたものの、それ以降、何度再生させても、途中で挫折していたのです。
気が鎮まりきっている時にはこのピアノソロアルバムは神経に障り、落ち着きたいと思って聴く際にはその彩度の高さと色使いの多さにやられてリタイアするというその繰り返し。
それらのシチュエーションでは常に「そうだ、上原ひろみのソロアルバムを聴こう」と思って再生させるのですが、それでもやはりどうにもならなかったわけで。
そして今日。再生してみると、これがすっと耳に、そして身体へと音が溶け込んでいくのです。部屋がピアノの音に満たされることを潔しとしているのです。
そこで実感するのです。自分の心がこの音楽に追いつけなかったのだと。音楽が先を行き過ぎて、自分が取り残されていたのです。
上原ひろみのピアノは決して澄まし顔の音楽ではなく、かといって乱暴者のそれでもなく。そのバランスのよいポイントが、自分の心の波長と一致した時に初めて、ソロアルバムとして受容することが出来るのだと、今日になってようやく気がついた次第であります。
となると、これからもやはり再生頻度は決して高くはならない作品かもしれませんが、CDラックの中にちょこんと腰掛け、そこにいて欲しいお守りのようなものとして存在していて欲しいのであります。
昨晩鑑賞。
久しぶりにアルコールが美味しかった晩。ほろよいでゆっくりとこのBlu-rayを鑑賞した。
アルバム『水響曲』における楽曲の生まれ変わらせ方は見事の一言。これをライヴで披露したのであれば、是非観たいと思っていた映像作品。
そしてその期待を裏切ることなく、素敵な、本当に素敵なライヴシューティングでありました。
斉藤由貴は自らを専業歌手であるは宣言していないけれども、ここでの「演じることの出来る歌手」というのは稀有な存在であるなと再認識。
「魔性の人」と表現すると大げさかもしれないが、画面に知らず知らず引き込むその魅力は、ある種の魔力と言えるのではないかと。
歌い手が歌うことに対する完璧さのようなものが求められるようになって久しいが、味や演技と言った観点からの完璧さもあってもよいのではないかと、再認識させられた次第。
そのあたりは、特典映像の武部聡志との対談でも深く掘り下げられており、ライヴと対談とをセットで鑑賞することで、この独自の世界観をより実りあるものとして鑑賞することが出来た。
素敵な晩でありました。