淡々と描かれる日常のふと何かを超えてしまったところにあるエアポケットのようなもの。絶対に埋めることのできない、時間と意識のズレの中に発生するということを知った。誰もが自分の意識に封をして描き上げる奇跡の共同作業の果てに。
この三月はこの三十数年の間に幸いにも自分が通ることなく傍らを過ぎていった何かを一気に注ぎ込まれた自分をさらに無理矢理水に放り込んで内外から泳ぎをおぼえさせるような、そんな一ヶ月だったように思う。ここ数年、毎年のように押し寄せるそれの一つともいうか。おあずけにしておいた「歳を重ねた人間貯金」から一気にイベントを引き出したような。