「情念」
「情」だけでは足りず、「念」では重きに過ぎる。
「情念」と組み合わせることによって、よりその二つの漢字が生み出す心理の深淵に迫ることが出来る。
ここで聴くことの出来る坂本冬美のボーカリゼーションは、この語が持つバランスそのものに楔を打ち、そして聴き手の心を鷲づかみにするかのごとく、想う心の強さを演出することに成功している。
それは心をどこまでも掘って掘って掘り下げ、その先に錨を降ろすかのように、水面下で縛りつけては離さない、想いの深さであるとも言える。
心とは引かれ、そして惹かれて行くもの。足元にしがみついて離れない引きもあれば、解放につながる惹きもある。
その両端に位置する楽曲を並べ、往き来することで、歌そのものが持つ世界に陰を持った彩りを与えている。それは坂本冬美と言うボーカリストが持てる、歌の機微によるところが大きい。
男性である私自身がこれを受け止めるには、あまりにも歌われる心の世界が深い。その懐に巻かれ、抱かれることを潔しとして接するより他にない。
今作で坂本冬美は間違いなく新しい扉を開いた。それは既存の曲に対してありきたりではない、女性ならではの心の錨を置かせる、重くも儚く、そして心に舞う蝶の鱗粉で、人を惑わす力に長けた歌手としての扉である。
私は完全に惑わされてしまった。
CD発注しましたよ。もちろん。