前作から明らかな進化を遂げた最新作。
メロディラインにリリシズムが感じられる曲が増え、時に「ジョージ・ウィンストンの超早回し版?」とまで思わせるような楽曲まで現われて、正直驚いた次第。
個人的に面白かったのはtr.6。何かしらハッとさせられたのだよね。そのような驚きの瞬間がアチコチにあることも、このアルバムが「進化」であることの証明ではないかと。
既発音源のハイレゾ版。
ライヴ音源はハイレゾで映えることを証明した音源。ステージングのリアリティがCDに比較し、より高次元で展開されている。楽器の分離、演奏の明瞭さがCDでは体験し得ないレベルでの音質。
これは正直まいりました。ここまで差がつくとはね。
圧倒的な情報量。
それが米津玄師の魅力の一つだとは思っていたけれども、新作は想像以上のボリュームだった。それは音作りにも言えることではあるけれども、とにかく今作は歌詞が濃い。頭に入ってくる文字を処理する前に、矢継ぎ早に次の言葉が飛び込んでくる。聴き終える頃には、十分な満足感を覚えると同時に、軽い疲れを覚えたのも事実。
僕が前作を聴いた後に、一度も米津玄師をカラオケでトライしようと思わなかったのは、その情報量を自分が処理できるとこれっぽっちも思えなかったからなのだよね。今作も同様。
40代も半ばを過ぎて、30代の青年が作る音楽をまだ聴けるとは思わなかった。いや、米津玄師の場合は聴かせるのだよな。否応なしにその世界観が視界に飛び込んでくる。音楽と言う情報として。
ポップミュージックの作り手の矜持としてか、その枠組みから外れるようなことはしていない。それでもずっしりとした重さを持って届けられるこれらの楽曲から、耳を逸らすことは出来ない。
その音楽としての麻薬ともいえる何かの、後ろめたい人を引きつけてやまない魅力が、世代を飛び越えて訴えかけてくる毒素のようなものとして、体内にジンワリと取り込まれている状態、それが今の自分なのだろうな。
米津玄師の音源がサブスク解禁およびハイレゾも解禁と言うことを見届けた午前0時過ぎ、驚きをもって迎えると同時に、ハイレゾ解禁されたアルバム2枚については即購入に動いておりました。
起床してからまず旧作からリスニングに着手。
このアルバムを大いに気に入った時から「なぜこの音源がハイレゾでリリースされないのだろうか?」と思っていた作品なので、喜びもひとしお。
元々音の粒立ちと立ち上がりが非常に良い音源だとは思っていたけれども、その良さの部分が明らかにはっきりと音に現われております。歯切れの非常に良い音とも言えるかと。
作品としても名作であると同時に、J-POPの優秀ハイレゾ音源としても楽しめる1枚。2年越しの思いが叶いました。僕がこのアルバムを聴き始めたのは2018年になってからなのでね。
そういえば、このグループの全アルバムを一気に購入していたんだっけ。
録音時期の特性もあってか、スピーカーで聴くとローが足りないので、イヤホンで聴いてみたところ、いやはや、いいグルーヴしてますよ。聴きやすいバランスになる。
ゴキゲンであります。