本日の朝一に。
「また一つ歳を取ってしまった」と感慨にふけりながらも、聴いていたのはC-C-B。
本日の朝一に。
「また一つ歳を取ってしまった」と感慨にふけりながらも、聴いていたのはC-C-B。
新しめの録音が続いたので、一気に1960年代へ。シュナイダーハンのベートーヴェン。
60年前のアナログ録音は、音がソフトに耳に滑り込む。アナログにはアナログの、デジタルにはデジタルのよさがそれぞれにあり、その両方を、最良の再生方法で聴ける今の時代に生きていることは僥倖であると思えるわけで。
演奏はと言えば、これに文句をつけるのであれば、あとは何を聴けばいいのだろうかと言った、正に一流そのもの。
では一流とは何かと問われれば、
「自分が一流と思えば、それが一流なのだよ」
となるわけで。ある種の「俺が俺が」ですな。
演奏を聴いていて、何かしらネガティヴな要素が引っかかってしまえば、それは決して、その時点での一流とは言えないわけで。一流もとっかえひっかえなのですよ。
このディスクで聴くことの出来る演奏は、何もネガティヴなものが現われてこない。艶やかかつ滑らかなヴァイオリン、芳醇な響きを見せるオーケストラ。極上の時間を堪能出来る演奏であります。
また、クラシック音楽にも新旧はあるのだろうけれども、その差異を明確に認める領域に自分がまだいないことが幸いしている現状があり。
いや、そのようなものは下手に認めることが出来ない方が、きっと幸せなのです。そこまでのいびつな沼には足を踏み入れない方がよろしいかと。自分にそう言い聴かせる真夜中なのであります。
約1年ぶりのご無沙汰。
改めてヘッドホンでじっくりと対峙すると、色々な物が見えてくる。それだけ自分もこの1年間でクラシック音楽への理解が深まってきたと言うことなのだろうか。
逆巻くようなうねりを持った第1楽章から始まり、インバルさんのノリにノッた唸り声が象徴的な最終楽章まで、息もつかせぬ展開のマーラー5番。
この演奏に出逢っていなければ、自分がここまでクラシック音楽の沼にはまり込むこともなかっただろうにと、感慨もひとしお。
原点にして至高、とまでは言わないけれども、原点としてはいい契機になった演奏であることは間違いなく。
諸々を再確認、再認識するに至った65分間でありました。
4x歳最後の一日の、その始まりとなる楽曲としてはなかなかによい選曲であったような。