音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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ロミオ道行 / 藤井隆 (2002 44.1/16)

昭和歌謡~シティ・ポップ~平成ポップを一本につなぎ、それら全てが再評価されている今の時代にこそ、その立ち位置を改めて分析したい好アルバム。

…などと言うことを掘り下げて考えていきたかったのだけれども、仕事中に爆発させた怒りのせいで、今の今まで頭痛を引きずるという体たらく。自分の事ながら、近年稀に見る激怒っぷりだった。それから数時間、怒りで仕事が手につかなかったほど。

終業後に音楽で気を紛らわせるべくこのアルバムを選んだのだけれども、残念ながらそうは問屋が卸してはくれなかった。

もう少し頭を冷やせるような音楽を、この後にチョイスしたいと思います。出来るかな?

ロミオ道行

雨宮天作品集 1 -導火線- / 雨宮天 (2023 96/24)

結構本気で歌謡曲しているのだけれども、ボーカルが洗練されているので、歌謡曲独自のドロッとした感覚がなく、スッキリと朝から聴くことが出来るのですよ。その雰囲気の上澄み部分をうまいこと掬い上げている作品であるとでも言いましょうか。

と言うことで、本日の朝一に。

雨宮天作品集1-導火線- (通常盤) (特典なし)

BLUE BLOOD / X (1989/2008 44.1/16)

ヘッドホン経由で聴く。

意外と、と言うべきか、何を今さらと言うべきか、Xってツインギターであることがその音楽の派手さを作り上げる要だったのだな、と。

ついついYOSHIKIのドラムと歌メロの歌謡曲さばかりに耳が奪われてしまっていたのよ、この35年近くもね。実際、ツインギターがどうこうと言いながらも、ついつい身体はエアドラムをやってしまっているのだけれども。

でもね、すごいことだよ。アルバム一枚、ドラムのリズムパターンを覚えている、いや、覚えられるようなドラムを叩いているYOSHIKIという存在は。「紅」なんてドラムが完全に曲を支配しているといってもよいほど。

このように、ツーバスと歌謡曲との両立だなんて前代未聞だったはずなんだ。でも、そこまで当時は思い至らなかった。

BLUE BLOOD REMASTERED EDITION

久しぶりにクラシック音楽を聴いたような気がする

ということで、ブルックナーを聴いたわけですが、しっかりとクラシック音楽を聴くのは結構久しぶりのような気がしますね。最後に聴いたのがいつだったのかが思い出せないほど。

2月の頭に腰椎を圧迫骨折した後、身体の具合がやはり良くなかったのでしょう。身体の具合が崩れれば、音楽を聴く姿勢もまた崩れるというもので。そのこともあって無意識にクラシック音楽を遠ざけていたのかもしれません。

ブルックナーはよいですね。音をせわしく追いかける必要がなくて。もちろんそれを満喫するためのまとまった時間を確保する必要はありますが。

あれから2ヶ月近くが経過し、身体の具合も随分とよくなってきました。歩行時のキツい違和感が無くなってきたのが一番の幸せポイント。そろそろ自転車とスイムを再開してもよいかもしれません。季節もよくなってきましたしね。

まぁ、ボチボチやります。クラシックも時間と環境が許せばボチボチ聴き進めていきます。今日のブルックナーは購入したはいいが未着手のまま今日まで来てしまったものなので。まだその手の音源はゴロゴロとNASやPCに眠っております。可哀想なことに。

ブルックナー:交響曲第7番 / パーヴォ・ヤルヴィ, チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 (2023 96/24)

ブルックナーに接すると宇宙と交信をしているような気分になることがある。音の運びが悠然としていることが、そう思わせる理由なのかもしれない。テーマが、やら、モチーフが、やら、で語ることが自分にとってはふさわしくなく、ただそこに見えている音の姿を捉えた際に感じ取られるものが、宇宙という語に集約されているような気がするのだ。

宇宙に風が吹くはずもないが、その大気の流れが感じられるのもまた、ブルックナーの特に後期作品の特徴であるように思える。空気に質量はないが、風となると肌に感じ取られる動きと重さが発生する。実にそのようなものではないかと。そこにある音が空気の流れを演出しているかのごとく。

音を歌い上げるのとは異なり、音を紡ぎ上げる作業を求められるのがブルックナーを演奏するということなのではないかと思うことがある。構築、コンストラクション、そのような行動にも似た何かがそこにはあるように感じられてならない。もちろん奏者ではないゆえに、それは勝手な解釈であるのは承知の上。

長大なブルックナーの世界を紡ぎ、描き、演奏へと導く。指揮者にはその芸術的行動を束ねる責任が重くのしかかるように思われる。

本演奏では譜面に記された音を立像として描くのはもちろんのこと、装飾を比較的控えめに演奏されているような印象を受ける。パーヴォ・ヤルヴィが持つ独特の凹凸を持った演奏観が姿を潜め、柔らかく譜面を撫でているかのように時間が進んで行く。

芳醇であるばかりがワインではない。そこには澄む味があってもよい。味を定める味覚が全てにおいては共有できないように、音から紡ぎ上げる色彩は各々の感覚によるもの。その最後の鍵を指揮者は聴き手に委ねているのではなかろうか。ブルックナーが記した世界観の多くは、聴衆の想像力における再構築に任されていると結論づけるかのように。

ブルックナー: 交響曲第7番

HUMAN / ReoNa (2023 44.1/16)

ReoNaの作品は確かに格好よいのだけれども、その訴えかける力がたまに辛いことがある。自分がもう若くはないと言う事の現れなのだろうけれども。

心身が完全に弱っている時には聴くことの出来ない強さがここにはありますね。今、ほんの少しだけ弱っているので、適度にパワーをもらうことが出来ましたよ。

HUMAN (通常盤) (特典なし)

Sketch / 幾田りら (2023 44.1/16)

全力で土下座をしたい。

「YOASOBIのボーカリスト」などと言う小さな括りでこのSSWの存在を過小評価していました。ユニットよりも遙かにエモーショナルで表情豊かなボーカル。なんとも良心的な現代J-POPにおけるSSW。歌詞もストーリーにあふれ、歌の表情に寄り添い演出するボーカルと相まって実に聴きごたえがあります。

YOASOBIはそのメロディの譜割りの特徴から、ボーカリストとしての感情をある程度意図的に排除した構造になっていたのだな、と思うに至りました。

これはヘビーローテーションしてしまうかもしれない。YOASOBIよりも格段に。

Sketch (通常盤) (特典なし)