音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

当コンテンツではアフィリエイト広告を利用しています

宇宙 / Fishmans (2005)

休日にしては珍しく、日付をまたがずに入浴。少し元気になってきたので、車を出すことに。TSUTAYAで買い物をした後に、例によって首都高へと。走り初めのルーレット族も少ないからなのか、1/2の夜は車の姿が極端に少ない。ワゴンRのポテンシャルを把握しきっていないので最初はまったりと走っていたものの、環状線の2周目になるあたりには、極力ブレーキを使わずに優しくかつ極力高速でコーナーに入って行ったりしてみる。

Fishmansを聴きながらの深夜首都高がなぜ気持ちいいかというのは、この、ギリギリと引き絞られていく、でも、限界を超えることは決してない集中力が求められ、それが増強されるからなんだろう。昂揚状態を意図的に作り出し、かつ、あらゆるものを無意味なものとして使い捨てることで得られる快感と虚無は、自分の精神構造の一番の基盤になっているんだろう。そういう意味では、自分の命がこの世から失われる理由は、事故か自殺かのどちらかなんだろうと。ただしどちらにしてもゼロでの死ではなく、時間がそれを求めらからこそ逆らわずに従うような「流れ」にあるのかもしれない。自分がいかに死からは遠い臆病な人間であるかは、自分が最もよく知っているつもりだから。