その昔から芸人が割と苦手だ。芸人を好きになったことは過去に一度もない。理由は基本的にインテリジェンスを感じることが稀だからと言うもの。有り体に言えば表情が貧相で下品だから。もちろん例外が存在することも認める。
電気グルーヴの音楽には間違いなく下品さが存在する。救いようもないギャグを基調にした歌詞と、ふざけた態度を取リ続けるその存在がビジュアルと相まって、実のところ少々苦手と言えば苦手だ。彼らが好きだと諸手を挙げて公言するのは、自分にははばかられる。
それでもトラックのマッシヴな情報量を持った格好よさ、時折泣かせにかかるメロディ、切なさを感じさせる、その存在としては裏切りとも言える歌詞など、随所にインテリジェンスを感じることは否定できない。二律背反であることは承知の上で、彼らが作り出す音楽の魅力からは逃れられないでいる。
ミニマルに構成されたトラックと、そこに乗せられるどうしようもない内容の歌詞。だが最近になって気がついた。その歌詞もまたトラック同様ミニマルであると。一つのモチーフを反復しながら、歌詞が持つ世界観を徐々に広げていく。まさにミニマル。そこに微妙な人生の哀愁といった側面を持つエッセンスをふりかけるあたりに、確信犯としての存在を持たせ続けている理由がある。
電気グルーヴが持つ芸人的要素は、実のところは大上段かつ下品に笑いを取りにかかるそれではなく、そう振る舞うことで謙譲にリスナーの立場を持ち上げる、人としての鋭さを有したそれだったのかもしれない。絶妙な匙加減でリスナーの心をくすぐり、それがトラックと結びつくことで反復性の毒を持つ音楽となる。
芸人を一括りにして、下品な表情を浮かべて相手を貶めるかのような笑いを取るだけの存在とするのはあまりにも暴力的な論だ。例外となる芸人はその人物の根底に鋭さや突出した才覚を持っている。笑いのインテリジェンスとは、かくも罪作りに意見の持ちようを惑わせる。
電気グルーヴの音楽、そして存在は持論のブレを呼び起こす。一点にのみ視点が固定されてしまう輩にとっては、実は厄介に難易度の高い存在なのだ。









