人としてあまりにもボンヤリし過ぎた生き方をしている40数分でありました。
シベリウス:交響曲第1番 / コリン・デイヴィス, ボストン交響楽団 (1976/2020 Hybrid SA-CD)
既存のシベリウスの音楽像とは、おそらく自然文化的側面に根ざしたところから始まり作られているように感じられるのです。いや、それは根ざしたと言うレベルでの話ではなく、もはやそれそのものなのかもしれないと。
もちろんその観点を否定するつもりは微塵もなく。
それでもこの演奏から捉えることの出来るシベリウスは、音楽を音楽として立脚させているものなのだよね。しがらみから解き放たれて、音楽としてそこにあるシベリウス。
パワーと優雅さの両立。音楽作品としてのシベリウス。「シベリウス」なる偶像を打ち壊すほどの革新を施しているわけではないのだけれども、実に活き活きと真新しいシベリウスとしてこれがあるように感じられるのです。
これらの録音が1970年代に築かれたものだと言うのだから、いやはや、クラシック音楽の底知れなさには恐ろしいものがありますな。
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 / マウリツィオ・ポリーニ, クラウディオ・アバド, ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (1992/2022 Hybrid SA-CD)
パワーに溺れるでもなく、リリカルに過ぎるでもなく、かといって中庸に甘んじるわけでもなく。
老成と言う名の衰えであるわけがなく、早熟と言う名の若さであるわけもなく。
ポリーニという人の弾くベートーヴェンは、端正でバランスよく美しいと言った印象なのです。美しさだけを刻んでとらえれば他にも美しいと感じられるピアニストは存在しますし、端正さやバランス感覚も同様。ただ無闇に圧倒させられる演奏でもなく。
人間としての音楽的な懐が広い演奏、とでも言えばよいのかな。この印象を言葉として表わすのはなかなか難しいものがありますよ。
そのようなことを考えながら聴いていると、思わず踊ってしまった指がチェケラッチョのポーズになっている、そんなあんぽんたんな私が聴いているクラシックなのです。言葉にするなど、とてもとても。
ドヴォルザーク:交響曲第8番 / イルジー・ビエロフラーヴェク, チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (2013/2021 96/24)
今晩は仕事明けからずっとクラシック音楽ですね。さすがに日付が変わる前からはヘッドホンリスニングをしておりますが。
で、ドヴォルザーク。交響曲第8番。ドヴォルザークの作品の中ではチェロ協奏曲と並んで好きな楽曲。どこが好きなのかと問われても答えるのはなかなか難しいものがあるけれども、まぁ、総体的に好きなのです。
今回はバロックに影響されたのではと思われる節が見えて、思わぬ発見となったかな。
レビューや論評、解説などを読み込まないので、自分の好きなままにとらえているのです。それが自分にとっては音楽のジャンルを抜きにしての基本的なスタンスなので。
クラシック音楽は特に自分の発想の着地点が自由になると考えているので、聴く行為、想像する行為、考察する行為、全てにおいて楽しめてよいですね。