音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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宮崎駿監督最新作『君たちはどう生きるか』(ネタバレなし)

観てきました。世間がネタバレにあふれかえる前にと。ここでもネタバレはしません。

観ている最中に思ったのが「これはシンプルに高純度な宮崎駿だ」と。

広告的要素もなし、スポンサーにおもねることもなく、本当に80歳を過ぎた今に作れる物を作ったのだと感じました。

今現時点での宮崎駿の想像力を作リ出す、その脳の中をのぞかせてもらっているかのような気分になった、とでも言えばよいでしょうか。

脳の中で展開されたファンタジーストーリーを2時間のアニメーションとして落とし込むロジックを、観客や、もしかするとこれからのアニメーション映画の担い手に向けて提示しているかのようにも感じられました。

ストーリーにおいては、大々的に伏線を張り、それを一気に回収するという手法では決してありません。ゆえにシンプルに組み立てられているかのように感じられたのかもしれません。

登場人物の行動において、言外における感情やもしくは愛情の表現もまた、機微あるものでした。これは観衆である自分がそれなりの歳を重ねてきたからこそ感じ取れるものなのでしょうか。言葉回しの一つ一つがストンと腑に落ちるかのような、そのようなやや高次な要素があったのもまた事実です。

もちろんと言いましょうか、先に述べた「2時間のアニメーション」の枠に落とし込む、ダウンサンプリングさせる段階で発生したのだろう綻びが感じられたのも事実です。しかしそれは必ずしも否定的に捉えられるばかりの問題でもなかったように思えます。

むしろ自分が50代を目前にして「老いた」と容易に力を抜くことを潔しとさせない、「老いる」などと言う言葉は創作においては甘えであると言わんばかりの力強さを見せつけられたかのようでした。

また、音楽においては久石譲のピアノが印象的な作品であると耳に感じ取られました。それがまたエンドロールでの米津玄師の楽曲における、やはり印象的なピアノへと橋渡しされ、ここでもまた世代交代であるかのような演出が、無意識においてもなされていたのではないかと感じられたほど。

宮崎駿監督にとってはこれが本当に最後の作品になるのでしょうか。もしそうなるのであれば、これは監督の最後の「自分自身に向けた作品」になるのだろうと思えた次第です。

映画を観終えた後にこのポスターを改めて眺めると、この上なく作品を象徴している絵であると思えるのです。