音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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infinite synthesis 2 / fripSide (2014)

まずは下記の文。

本人達は小室哲哉や浅倉大介の影響を公言しているらしいけれども、僕が感じ取ったのは木村貴志のエッセンスなのだ。シンセに頼っているように見せて肝心なのは泣きのメロディという木村貴志ならではのFavorite Blueテイストが試聴段階でたまらなく響いて購入に至った次第。バックトラックに埋もれてしまいそうな儚い高音ボーカルに乗る歌謡曲メロディ。どの曲も潔く耳をつんざく。デジタルポップに懐かしさをトッピングして勢いで焼き尽くす。これは好盤と出会った。僕にとっての失われた10年はこういう感覚だ。迷いのないデジタルポップ。

これは僕が『infinite synthesis』を初めて聴いた時の約4年前のファーストインプレッション。この感想が今になってもブレていないことにまずは驚く。

その間に八木沼悟志はアニソン界で確固とした地位を確立し、挙げ句の果てにはMOTSUも巻き込んでALTIMAまで作ってサイバーサウンドの現代解釈を提示して見せた。それを経験したからかfripSideとの差別化をすることに取りかかったのか、今回のfripSideはずいぶんと哀愁の要素をふんだんに振りかけた作風に仕上がっている。1stでのサイバーサウンドの残り香がまずほとんど失われ、デジタルポップスとしての聴きやすさ(おそらくそれは音数を絞り込んだことに起因するのだろう)に終始している。そしてデジタルポップスだからこそ出来る、乾いた哀愁感を引き出すことに成功している。

もちろん哀愁だけでは曲調が並び、面白みに欠けてしまう。そこにBPMのちょっとしたマジックであったり、音の引き算の工夫であったり、既発曲の並び方であったりといった、「やって当然のこと」が自然に出来ているところに、八木沼悟志のこの4年間の学習効果をはっきりと見出すことが出来るのだ。

今回も全13曲のフルボリュームだけれども、前作と比較して雑味のないfripSideを味わうには十分すぎるくらいの分量に思える。

デジタルポップの居場所がアニメフィールドにしか求められない今、その居場所をしっかりと確保して、第一線で活躍していることは、ファンとしては非常に誇らしいことだと思うし、何よりも活動が続いていることに感謝をしなければならないと思う。

ありがとう、fripSide。またヘビーローテーションになるアルバムを作ってくれて。