フォーカルさんでまったりリスニング。いい天気だなぁ、とスピーカーの後ろ、窓の外を眺めながら。
さて。
DSD256の威力を最も発揮しているのが、脱力系の演奏だと言うところが、いかにもクラムボンらしいと言うべきか。
それにしても、とんでもない可能性を持ち続けているバンドであることよと、再認識させられた次第。変奏的スリーピースであることによる自由度の高さを、これでもかと駆使しているアルバムなのだと、今さらながら気付かされる。
オリジナルのリリースが2006年で、その時からこのアルバムを、たまにではあるけれども、聴いているわけで、全然その事には気付かなかった自分がなんとも憎らしい。
音楽は時間との巡り逢いのようなものであると、今年は特に実感しているので、何を今さらと言った感も特にはないのだけれどもね。