音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

THE BOOK / YOASOBI (2021 Spotify)

アルバムを聴き、「甘酸っぺぇ」と呟きつつも否定出来ない、そのようなオッサンが思ったYOASOBIの一端について。

今さらYOASOBIについて書き綴ったところで、明らかに誰かの二番煎じになるだろうけれども、書いておきたいものだってある。

同級生の子持ち友人男性は、YOASOBIのその音楽をたいそう気に入りながらも、「童貞感がある」と相当にキツい一言で言い表していた。

そこで改めて本作を聴いてみると、意外と発見のある音楽だと感じられたので、ここに書き殴ろうと思うに至った次第。

さて、「童貞感」と言う単語に抵抗があるのならば、これを「ティーンネイジポップ」と言い換えてもよい。

自分と相手とを肯定し、迷いながらもそれでもひたむきに前へと進んでいく姿勢。

それは中年になってしまったオッサンには、もうそのような気力や光の欠片すらなくなっている、遙か彼方、過去の物語、確実に通ってきたはずのノンフィクションでありながらも、既にフィクションと化している物語の持つ、眩いばかりの10代の輝きである。

この時点で相当に甘酸っぱい。聴けば、それを目の前で掘り返されてしまうのだから。

また同時に、登場人物からの年齢的な距離を重ねてしまったことで、歌詞が楔にならない点での良さがあるとも言えるだろう。

オッサンはしたたかになってしまったのだ。それをリフレクトさせる存在としてのYOASOBIは痛くも甘酸っぱい。

次に登場人物の間にある微妙な距離感。これは恋愛におけるプラトニックさを表現してはいないだろか。プラトニック、すなわち…童貞感。

そこに肉体的な触感や味覚、嗅覚を想起させる要素は非常に少ない。これを10代特有の性への憧憬と結びつけるのは安易に過ぎるか。

しかしながら、微妙な距離感を保ちつつも、相手を思う心を描いている歌詞の世界観には、あるものとの共通した視点があるように思える。

それは特定のBLなどで見られる、汗臭さのない、デオドラントな人間関係と共通している視点と言ったら、はて、ここで一発ぶん殴られることになるだろうか。

歌詞における男性の視点が、女性が描く少年に特有の、立脚感の薄い視点であるかのようにも見受けられるのだ。言い換えると「腐女子の観点」である。

人は決して性から逃れることは出来ない。腐女子はその性の妄想に長けた存在であるとも言える。妄想こそが性の原点。しかし聴き手である我々オッサンは、その性の、妄想であるが故のプラトニックさを忘れてはいないだろうか。

BLであろうが、デオドラントであろうが、性は性。そこに肉体的要素が絡むと思いこんでいるのであれば、それはもう、読み手が爛れてしまっただけに過ぎない。

先に述べたように、これは「ティーンネイジポップ」なのだ。触感の少ない甘酸っぱい性と言う、やはり「通ってきたプラトニックな過去」が綴られていることに気がつかなければならない。

まだ立脚にはほど遠いティーンが主人公であろう歌詞であるからして、全てにおいては未熟なのである。

その未熟が表現として昇華されている音楽。それがYOASOBIの音楽性の一端なのだ。